「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の大ヒットで、たちまち、子供たちの人気者になった、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんは、そんな中、親友で落語家の立川談志さんに誘われ、談志さんの演芸番組「笑点」に出演することになるのですが、今回は、その前に、毒蝮さんと談志さんの出会いについてご紹介します。
「毒蝮三太夫が若い頃は「ウルトラセブン」でフルハシ隊員役!」からの続き
立川談志との出会いは落語つながり
毒蝮さんが立川談志さんと最初に出会ったのは18歳の時だったそうで、毒蝮さんは当時、日本大学芸術学部映画学科に通っており、新劇をやるため「劇団山王」を立ち上げていたのですが、
子供の頃から落語が好きだった毒蝮さんが、劇団員の一人で、歌舞伎通で落語も好きだったという小林勝彦さん(後に俳優・声優)に、
俺は落語が好きだから、誰か紹介しろよ
と言って、紹介してもらったのが、柳家小ゑん(やなぎや・こえん = 当時「二つ目」だった談志さんの高座名)だったそうです。
立川談志のことを最初はよく思っていなかった
ただ、紹介された時、談志さんは、赤いジャンパー、ベレー帽、ラッパズボンという出で立ちだったそうで、毒蝮さんは、チャラチャラして生意気そうで嫌な奴だと思ったそうです。
(談志さんが若手落語会をやっていた第一生命ホールで紹介されたそうで、当時、談志さんは売れに売れていたそうです)
そして、その後、ある日、毒蝮さんが学校の帰りに山手線に乗っていると、新宿でトンビコートを着た生意気そうな男が立ったそうで、ふと見たら柳家小ゑん(談志さん)だったことから、
毒蝮さん:小ゑんちゃんじゃねえか
談志さん:この間はどうも。俺んちは目黒で降りて鵜の木なんだよ
毒蝮さん:俺は荏原中延だから、五反田だよ。じゃあ目黒で降りて、一緒に何か食うか
と、中華料理屋に行ったそうですが、
談志さんが、
餃子7人前食ったら、おごるよ
と言ったことから、
毒蝮さんは、ペロッと食べ、さらには、チャーハンも食べたそうで、
それから、
家も近いな、これから行ったり来たりできるな
と、付き合いが始まったのだそうです。
立川談志に俳優として評価されていた?
ちなみに、当初、談志さんのことを、生意気そうで嫌な野郎だと思っていたという毒蝮さんですが、
談志さんは、当初から、映画「二人だけの橋」(1958)に出演していた毒蝮さんを俳優として高く評価してくれたそうで、
お前は行員とか御用聞きとかが本当に似合う
と、褒めて(?)くれたほか、
毒蝮さんがNHKのドラマに出演していた際、偶然、落語でNHKに来ていた談志さんが、毒蝮さんの衣装合わせを見に来た時にも、
川越の労働者の役でフンドシ一本だった毒蝮さんの姿を見て、
お前は本当に似合うよ。お前みたいにふんどしが似合う役者はいないよ
と、褒めて(?)くれたのだそうです。
「毒蝮三太夫の「笑点」出演は立川談志の猛プッシュからだった!」に続く
若い頃の毒蝮さん(左)と立川談志さん(右)。