2人目の妻・倍賞美津子さんとは、1億円もの盛大な結婚式を挙げるほか、当時、所属していた「日本プロレス」を追放されて借金を背負うも、力を合わせて、「新日本プロレス」を立ち上げるなどしていた、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、倍賞さんと離婚した後のプライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、その後の、猪木さんの2人の奥さんをご紹介します。
3度目の結婚&離婚
猪木さんは、倍賞美津子さんと離婚した翌年の1989年には、22歳年下の一般女性、尚美さんと結婚し、1990年には男の子が誕生しているのですが、
その後、20年以上経った2012年、(息子さんが成人したことを期に)離婚しています。
猪木さんと3人目の妻・尚美さん。
ちなみに、猪木さんは、2011年、週刊誌「女性自身」により、カメラマンの女性(当時55歳)との「お泊り愛」が報道されているのですが、このことが離婚の原因となったようです。
半同棲していることが報じられる
その後、猪木さんは、2014年にも、週刊誌「女性自身」により、再び、この女性と都内のマンションで半同棲生活を送っていると報じられ、
「女性自身」の直撃取材に対し、
ハ、ハ、ハ。なんでそうなるんだ。再婚なんてするわけないだろう
と、一蹴していたのですが・・・
4人目の妻は?
2017年には、この女性(16歳年下の元カメラマン、橋本田鶴子(はしもと たづこ)さん)と結婚しています。
ちなみに、お二人は、仕事を通じて知り合ったそうで、もともと、猪木さんのファンだった田鶴子さんが、1990年代後半から、猪木さんのプロレスの写真を撮り始め、5年に渡る密着撮影の末、2001年、猪木さんの写真集「人生のHomeLess―アントニオ猪木写真集」を出版したことがきっかけで、猪木さんの専属カメラマンになったそうです。
(田鶴子さんは、大学で写真を学び、大学卒業後は、民放のテレビ局の関連会社でカメラマンとして働いていたそうです)
4人目の妻はアントニオ猪木の公設秘書も務めていた
そんな田鶴子さんは、やがて、猪木さんが会長を務めるプロレス団体「IGF」の役員も務め、さらに、2011~2013年には、猪木さんの公設秘書も務めていたそうで、
猪木さんが、2013年に18年ぶりに国政に復帰すると、田鶴子さんも議員会館に出入りし、猪木さんの北朝鮮訪問などにも同行するようになっていたそうです。
(猪木さんが北朝鮮を訪問した際、現地の要人との記念撮影などを担当したそうです)
ちなみに、猪木さんは、
北朝鮮は会談の写真はダメ、現地のここはダメとか、特にカメラに対してすごく警戒する。
ところが、彼女は人の懐に入るのが天才的というか、生まれつきの人柄なのか、いつの間にか北朝鮮高官にすごく好かれて、自由に撮らせてもらっていましたね。
カメラマンによっては、北朝鮮の暗部、汚いところばかり撮りたがる人がいるけれども、彼女は違った。彼女があるがままに撮影していたら、信頼を勝ち得た。
と、田鶴子さんのおかげで北朝鮮の訪問がうまくいったと語っています。
(その後、田鶴子さんは、猪木さんの肖像権などを管理するマネジメント会社「コーラルゼット」の副社長を務め、猪木さんの右腕として働くようになっています)
結婚する前の橋本田鶴子さんと猪木さん。