お母さんが「認知症」であることが分かり、これまで愛情をかけてくれた分、そのお返しをしたいと、在宅での介護にこだわっていたという、安藤和津(あんどう かず)さんですが、やがては無理がたたり、今度は、安藤さんの体に異変が現れてきたといいます。
「安藤和津が母親の在宅介護にこだわった理由とは?」からの続き
料理が作れなくなっていた
「認知症」となったお母さんが寝たきりとなってしまったことで、それまで以上に睡眠時間が削られるなど、介護に忙殺される日々を送っていたという安藤さんですが、ついに、安藤さん自身にも異変が現れたそうです。
まず、最初に、料理ができなくなってしまったそうで、ハンバーグの作り方すら分からなくなり、
娘たちのいる前で、
もうお母さんは料理が作れない!
と、叫び、大泣きしたことがあったのだそうです。
ただ、その時は、娘たちが、
もうお母さんは一生分のごはん作ったんだから、もう作らなくていい。私たちが作ってもいいし、みんなで外食したっていい
と、言ってくれ、気が楽になったそうですが、
そのほかにも、
- テレビ番組に出演しても言葉がまったく出てこない
- 手紙をもらっても返事がまったく書けない
- 自分の洋服を選べない、色合わせができない
- 髪の毛が結えない
- お化粧ができない
- (考え方や文章などあらゆることにおいて)物事の組み立てができない
などと、これまで普通に出来ていたことが出来なくなってしまったのだそうです。
自殺を考えるほど切羽詰まり幻覚や幻聴も
また、ある夜、お母さんの痰(たん)の吸引の合間に執筆しようとするも、文章を書くことに行き詰まっていると、
庭の木が1本のシルエットで見え、その木が「こっちにおいで、楽になるよ」って呼びかけてきたそうで、「うん、そっちに行ったら楽になるかも」と思ったこともあったそうです。
ただ、その直後、お母さんの痰の吸引をしなければならないと、現実に戻ったそうですが、
安藤さんは、その時のことを、
2006年に母が亡くなる直前のことです。夜にふと窓の外を見ると庭の大きな木が目に飛び込んできた。それを見ていたら、「この木に紐をぶら下げて首をくくったら楽になる」と思ってしまったんです。
宵闇に浮かぶ木に、自分が吸い込まれていくような感覚とでも言えばいいでしょうか
介護で危ない状況になったけど、責任感から介護をやらなきゃいけないと思い、この世に踏みとどまった。当時の私は、小さい「透明な箱」に閉じ込められている感じだったんです。
私の息遣いも誰も感じてくれない、周りの人の温もりを私は感じられない。家族がみんなで笑っていても、「なんで笑ってんの?意味わかんない」。笑ってること自体が私はわからないんです。
外側の世界で起きてることのように、私だけ何もわからない状態でした。本当に疎外感がありました。
と、語っています。
介護うつと診断される
そんな中、友達のお祝い会に、体をひきずるようにして行った時のこと、
久しぶりに会った友達が、
私、両方の親4人分の介護をやって、介護うつになったのよ
と、言ったそうで、
安藤さんが、
介護うつって何?
と、聞き返すと、
その友達は、
お料理できなくなった、人に会うのが嫌になった
などと、全て安藤さんと同じ症状を言ったそうで、
安藤さんは、その時、初めて自分が「介護うつ」だということに気付いたのだそうです。
そして、介護を始めて10年余り経った2003年、病院に行くと、やはり、「介護うつ」と診断されたそうですが、安藤さんは抗うつ剤には抵抗があったことから、睡眠薬だけを服用しながら、その後も、なんとか、仕事、家事、介護を続けたのだそうです。
「安藤和津は介護母が他界後も「燃え尽き症候群」で鬱が続いていた!」に続く
安藤さん(左)と母・昌子さん(右)。