2007年、「風の外側」で本格的に映画デビューすると、「愛のむきだし」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「百円の恋」「万引き家族」などの映画に出演して、数々の映画賞を受賞するなど、個性派女優として活躍している、安藤サクラ(あんどう さくら)さん。今回は、そんな安藤さんのルーツをご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?学歴は?

安藤さんは、1986年2月18日生まれ、
東京都の出身、

身長160センチ、

靴のサイズは25.5センチ、

血液型はA型、

学歴は、
学習院初等科
⇒学習院中等科
⇒学習院女子高等科
⇒学習院女子大学国際文化交流学部卒業

趣味は、絵を描くこと、

特技は、ダンス、ボクシング、

ちなみに、父親は俳優の奥田瑛二さん、母親はエッセイストの安藤和津さん、姉は映画監督の安藤桃子さんです。

本名は?名前の由来は?

安藤さんの本名は、「安藤さくら」(結婚後は柄本さくら)と、カタカナをひらがなにしたものなのですが、

実は、安藤さんが生まれた日は大雪だったそうで、桜吹雪のように雪が舞っていたことから「さくら」と名付けられたのだそうです。

母方の曾祖父は元内閣総理大臣・犬養毅

安藤さんの母方の曾祖父は、教科書で習った、「五・一五事件」で暗殺された元内閣総理大臣の犬養毅氏です。


犬養毅氏

犬養氏は、1876年、慶應義塾大学に入学し、大学在学中から「郵便報知新聞」の記者として活動すると、翌年の1877年には、「郵便報知新聞」の記者として西南戦争に従軍。

1880年には、慶應義塾大学を中退して記者に専念すると、同年、豊川良平(とよかわりょうへい)らと「東海社」を設立して、「東海経済新報」を創刊し、記者として活動したそうです。

そして、その後、統計院(総務省)に入り、大隈重信(おおくましげのぶ)の陣営に属すると、1881年には、「明治十四年の政変」(クーデター)により、大隈氏と共に統計院を去るのですが、1882年には、大隈氏率いる立憲改進党結成に参加し、1890年には、第1回総選挙で衆議院議員に当選。

以来、連続18回42年間に渡って(死に至るまで)連続当選すると、その後は、立憲国民党(後に革新倶楽部)の党首となって、憲政擁護運動や普通選挙運動を推進し、「憲政の神様」として、「大正デモクラシー(民主主義思想の運動)」を盛り上げ、1929年には、立憲政友会総裁となり、1931年には、内閣総理大臣となって、満州事変の収拾に尽力するほか、世界恐慌による不況対策を積極的に進めたのですが、1932年、海軍青年将校らによって暗殺されています。(五・一五事件)

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家系図

ちなみに、家系図は以下の通りです。

「安藤サクラの父親は奥田瑛二!母親は安藤和津!」に続く

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