お母さんの介護で肉体的にも精神的にも疲労困憊して、「介護うつ」になってしまうも、睡眠薬を服用しながら介護を続けていたという、安藤和津(あんどう かず)さんは、お母さんが他界した後も、「燃え尽き症候群」のような状態となり、「うつ」が続いたといいます。
「安藤和津は「介護うつ」で幻覚や幻聴が起こっていた!」からの続き
母親が他界した後も「燃え尽き症候群」のような状態で「うつ」が続いていた
8年に及ぶお母さんの在宅介護で、すっかり身も心もボロボロになっていた安藤さんですが、2006年には、お母さんが83歳で他界。
これで、ようやく、安藤さん(当時58歳)は介護から開放されたのですが・・・
介護の時は、やみくもに介護に突進して疲労困憊でしたが、介護後は感情が本当に動かなくなりました
灰色のサングラスをしているみたい。身体は楽になったけど、感情が死んでいました
と、今度は、「燃え尽き症候群」のような症状になってしまったのだそうです。
喜怒哀楽がなくなっていた
例えば、みんなが笑うと、1秒差くらいで、昔の私だったらこうやって笑ってたなと頭で考え、一緒に笑っていたそうで、
何も面白くなく、なぜみんなが笑っているのか全く理解できないまま、まるで「着ぐるみ」を着ているような状態だったのだそうです。
(ただ、安藤さんは、表向きは、料理もし、仕事にも行って、明るく振る舞っていたため、誰にも気が付かれなかったのだそうです)
家族の活躍も素直に喜べなくなっていた
ただ、ふと家族を見ると、この頃、安藤さんの状態とは真逆に、夫・奥田瑛二さんは海外で受賞を重ね、映画監督の長女(安藤桃子さん)と女優の次女(安藤サクラさん)も仕事で注目を集めるようになり、と家族は順調満帆で、
余計に自分だけが取り残された感じがし、「私は夢を追う獏(バク)のフン拾い」と気持ちは沈み、もともとは、感激屋で、義理のお姉さんの結婚式でさえ号泣するほどだったのが、娘の結婚式ですら気持ちは淡々としていたのだそうです。
家族に異変を指摘され逆ギレしていた
また、娘たちから、「お母さんは何を食べたいって聞いても、自分で決められないね」と言われたことがあったそうで、今まで料理と食べることが好きだったのが、何を食べてもおいしいと感じなくなっていたことにも気付いたそうですが、
ある時、家族会議に呼ばれ、娘から、
みんなを代表して言います。お母さん最近おかしい
と、言われると、
安藤さんは、
(みんながあまりにも深刻な顔をしておかしいと言われたため)冗談じゃないわよ!おかしいのはあんたたちでしょ!
と、逆ギレしてしまったのだそうです。