2006年、お母さんが83歳で他界して、ようやく介護から解放され、身体的な疲労感はなくなったものの、その後は、長い間、喜怒哀楽がない状態が続いたという、安藤和津(あんどう かず)さんですが、あることがきっかけで、突然、治ったといいます。

「安藤和津は介護母が他界後も「燃え尽き症候群」で鬱が続いていた!」からの続き

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「介護後うつ」

お母さんが他界した後は、「燃え尽き症候群」のような状態となり、喜怒哀楽がない状態が続いたという安藤さんですが、それは、10年以上も続いたといいます。

ただ、お母さんは他界し、介護は終わっていることから、当然、「介護うつ」は治ったと、安藤さんは思っていたそうで、当時60歳くらいだったこともあり、様々な体の不調は年のせいだと考えていたのだそうです。

しかし、ある時、自身の「うつ」がまだ続いていた(「介護後うつ」)ということに気付く出来事があったといいます。

「介護後うつ」が突然寛解

それは、2017年頃、掃除機をかけながら、テレビで「獅子てんや・瀬戸わんや」のお笑いを見ていた時のこと、

あまりにも懐かしいのとおかしいのとで、吹き出したそうで、その瞬間、口のあたりから、「ポン」と何かが飛び出したのだそうです。

それで、

ん?何か飛び出した?

と、思っていたところ、

今まで見ていた画面が、全部モノクロだったのが、突然カラーになって色が目に飛び込んできたそうで、その瞬間、自分がまだ「うつ」(「介護後うつ」)だったことに気づいたのだそうです。

(突然、灰色のサングラスがとれ、目の前に色が現れたような感覚だったそうで、11年続いた「うつ」が、突然、治ったのだそうです)

「介護後うつ」を抜け出せたのは孫の誕生がきっかけ

実は、ちょうど、その半年前、2人目の孫が生まれたそうですが、孫の足を見ていると、亡くなったお母さんの足の指の形とそっくりだったそうで、肉体はなくなっても血筋は脈々と流れ、孫が受け継いでいるのだと、お母さんの存在を実感できたほか、

(かわいい孫2人を見て)娘たちを育てていた時の感覚が蘇ってきたそうで、愛情が栄養剤となって、自分の中で活発に動き始めたことを実感していたのだそうです。

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著書「“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間」を出版

こうして、安藤さんは、「介護後うつ」から抜け出すと、再び、仕事にも意欲的になり、以前から依頼されていた書籍用の原稿にも取り掛かることができたそうで、2018年10月には、著書「“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間」を出版。

この著書は、頑張り過ぎてピリピリとしていた自分の介護を振り返り、反省の意味を込めてしたためたそうで、

安藤さんは、

100%を目指さず、プロの手も借りながら、笑顔で出来る範囲の介護が、介護される側の心が最も安らぐ形なのでは

介護すると、1点を見つめて集中しがちです。だけど、今だからこそ言えるのは、介護者が眉間に皺(しわ)を寄せて「オムツ始末しなきゃ、お尻拭かなきゃ」となったら、される側がつらいと思う。

便利なものに頼ればいい。ヘルパーさんにお願いすればいい。眉間に皺を寄せないで、笑顔で「おじいちゃん、今日の様子はどう?」と言える状況を保つこと。去るときはみんな笑顔で「さよなら」と言えるのがいちばんいい。

最後にお互いに笑ってサヨナラが言えるためには、頑張りすぎず気楽にやる。愛情って何かと考えたときに、世話することじゃなくて、お互いの愛を認識し合うことだと思います。

あとは、元気なうちにどうやって見送ってほしいかをきちんと、話しあっておくべき。私はこれができていなかったので、今でもそれは後悔しています。

と、語っています。

「安藤和津の娘は安藤桃子(長女)と安藤サクラ(次女)!」に続く


“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間

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