お父さんの奥田瑛二さん、お母さんの安藤和津さん、お姉さんの安藤桃子さん、それぞれに強い影響を受けてきたという、安藤サクラ(あんどう さくら)さんですが、中学3年になると、逆に家族と関わりのないものに憧れ、ボクシングジムに通い、ボクシングに打ち込んだといいます。
「安藤サクラは5歳で女優に憧れるもその想いを封印していた!」からの続き
小学校の学芸会の練習では父・奥田瑛二の猛特訓を受けていた
安藤さんは、小学生の時、学芸会で、戯曲「夕鶴」のヒロインのオーディションに見事合格し、ヒロイン「つう」役を演じることになったそうですが、
お父さんからは、本番に向けて、「立ち稽古」をさせられたそうで、何度もダメ出しをされ、気がつくと、1時間、2時間と、どんどん時間が過ぎていき、3時間が過ぎた頃には(夕飯の時間も過ぎてしまったそうです)、
ばかやろう!何やってるんだ!学芸会みたいな芝居してんじゃねえんだよ、この野郎!
と、怒鳴られたそうで、
安藤さんも、ついに泣き出し、
だって、これ、学芸会なんだもん・・・
と、訴えたそうですが、
お父さんには、さらに、
小学生みたいな芝居すんじゃねえ!
と、怒鳴られたそうで、
安藤さんは、またもや泣きながら、
うぅ~・・・だって小学生だもん
と、反発したことがあったそうです(笑)
ただ、そんなお父さんのスパルタ特訓の甲斐あってか、その学芸会では、担任の先生も感動して泣くほどの熱演をすることができたのだそうです。
中学時代はヤンキーに憧れ、高校時代はギャルに憧れていた
そんな安藤さんも中学生になると、自分の意思を持ち始め、それまで、自分をコントロールしていたお姉さんや家族が、一番興味を持っておらず、一番関わらないところを極めようと、ヤンキーや、尾崎豊さんに憧れるようになり、グレて悪いことばかりしたのだそうです(笑)
そして、高校生になると、「パラパラ」をするなど、ギャルにも憧れたのだそうです(笑)
中学時代はボクシングジムに通っていた
また、ボクシングをやっていると言えば、ビビられるんじゃないか、悪い人に見られるんじゃないかと思い、中学3年の時には、ボクシングジムに通い始め、練習に励んだそうですが、
(安藤さんがやっていたのは、ボクササイズではなく、本気のボクシングで、当時は、まだ、女性がボクシングをやるのは一般的ではなかったため、女性は2~3人ほどしかいなかったそうです)
ボクシングジムに通ったことで、家族や学校ではないところで何かを教わったり、今まで自分が全然関わったことのない人たちと関わり合いが持て、とても貴重な経験をすることができたのだそうです。
(トレーナーにはとてもかわいがってもらったそうですが、練習はとても厳しかったことから、その時に根性や忍耐を叩き込まれたそうです)
ちなみに、男性には、女性である安藤さんが本気で打ってもパワーがないため、「好きに打っていい」と言われ、ディフェンス練習に使われていたそうで、
初めて女性とスパーリングをした時には、怪我させてしまうのが怖くなり、全然うまく打つことができなかったそうで、そういう恐怖心など、普通の生活では学べないことを学べたことも、とても大きな経験になったのだそうです。
「安藤サクラの映画デビュー(主演)は父・奥田瑛二監督「風の外側」!」に続く
映画「百円の恋」に出演時の安藤サクラさん。