5歳の頃から女優になりたいという気持ちが芽生えるも、父親の奥田瑛二さんが俳優だったことから、関連付けられることを嫌い、ずっとその気持を封印してきたという、安藤サクラ(あんどう さくら)さんですが、高校生の時、ついに、これまで封印していた、女優への想いを解禁したといいます。
「安藤サクラは中学時代ヤンキーに憧れボクシングジムに通っていた!」からの続き
高校2年生の時に封印していた女優への想いを解禁
中学時代は、ボクシングに打ち込んでいたという安藤さんですが、高校に入るとすぐ、六本木のファミリーレストラン「ジョナサン」でアルバイトを始め、その後は、ピザ屋のデリバリー、カフェバー、電機メーカーの派遣宣伝員など、アルバイトに明け暮れる生活を送るようになったそうです。
すると、これまで封印していた女優になりたいという気持ちが抑えられなくなってきたそうで、高校2年生の時には、学芸会「ムーランルージュ」で主役を務めたそうですが、それが楽しくて仕方がなかったそうで、ついには、家族に、泣きながら、女優をやりたいと一世一代の告白。
ただ、お母さんの安藤和津さんはというと、「やらないって言ったらどうしようって思ってたわ」と言い、お父さんの奥田瑛二さんも、「おう」と賛成してくれ、いたって普通に反応されたのだそうです。
父親・奥田瑛二による話
ちなみに、奥田さんによると、少し話が違っていて、
安藤さんが高校3年生のある日、
お父さん、お話があります
と、正座で切り出してきたことから、自身も正座で向き合うと、
安藤さんが、
私、女優になりたいんです。許していただけませんか?
と、言ったそうで、
うん、分かった。だったら自分で女優になってください。父は何も手伝いません。それだけだ
と、言って許すと、
安藤さんは、深々と礼をしながら、
ありがとうございます
と、言ったとのことでした。
父親・奥田瑛二の監督映画「風の外側」の主演で映画デビュー
さておき、こうして、安藤さんは、女優への想いを新たにすると、2007年、20歳の時には、お父さん・奥田瑛二さんの監督映画「風の外側」の主演で(実質的な)映画デビューを果たすのですが、
(※安藤さんは、既に2006年「長い散歩」にも出演しているのですが、安藤さん本人は「風の外側」をデビュー作と語っています)
実は、もともと、安藤さんは、セリフのない指揮者を演じる予定だったそうで、主演女優がクランクイン4日前に降板し、急遽、代役として主演に抜擢されたそうで、
安藤さんは、その時のことを、
父はそういうこと(娘の主演)はしたくなかったみたいですけど、もう私しかいない、みたいな状況になってしまって。迷ってる暇もなく、「分かりました」って即答しました
と、語っています。
父・奥田瑛二と一緒に仕事をしたことが最大の試練だった
ちなみに、この映画での、安藤さんの役柄は、ヌードシーンや押し倒されるシーンもあり、デビュー作としてはハード過ぎる内容なのですが、安藤さんはというと、すべてのシーンがなくてはならないものだと考え、まったく抵抗はなかったのだそうです。
(襲われるシーンでは、お父さん(監督)に相手になってもらい、練習したこともあったそうです)
ただ、もともとセリフのない役柄の予定だった安藤さんが、急遽、主演することになったことから、お父さんの奥田さんからは、理不尽と思えるほど厳しく演技指導されたそうで、お父さんと一緒に仕事をしたことは相当な試練だったそうです。
それでも、(その後、何本かの映画に出演した)今となっては、この映画の現場が最もしんどく、デビュー作で厳しい目に遭っていて良かったと思っているそうです。
また、安藤さんが幼い頃は、お父さんは仕事が忙しく、ほとんど家にいない状態で、たまに家にいても、地味な格好でぼーっとしているだけで、話をしたり、一緒に遊んだりということがほとんどなかったことから、この撮影が終わった後、ようやく、お父さんと打ち解けた感じがしたのだそうです。
「安藤サクラは昔「愛のむきだし」で脚光を浴びていた!」に続く
「風の外側」より。佐々木崇雄さんと安藤さん。