「巨泉×前武 ゲバゲバ90分!」「前田武彦の天下のライバル」「ピロピロゲーム」「連想ゲーム」など、バラエティ番組に数多く出演し、そのパッと明るい元気なキャクターで、お茶の間の人気者になっていった、うつみ宮土理(うつみ みどり)さんですが、今回は、そんなうつみさんのプライベートについてご紹介します。
「うつみ宮土理のデビューからの出演CMドラマ映画を画像で!」からの続き
夫・愛川欽也との馴れ初めは?
うつみさんは、1978年、35歳の時、俳優でタレントの愛川欽也さん(当時44歳)と結婚しています。
二人は、1972年、歌番組「きんきんケロンパ歌謡曲」で共に司会を務めると、1975年にも、バラエティ番組「シャボン玉こんにちは」で共に司会をし、急接近したそうですが、
実は、愛川さんは、「きんきんケロンパ歌謡曲」の出演オファーが来た当初、うつみさんとのコンビということで、
あんな小生意気な女はご免
と、出演を渋っていたといいます。
ただ、いざ共演してみると、英語が堪能な才女でありながら、時折、天然ボケをかます、うつみさんのギャップに、次第に惹かれていき、
(うつみさんは、実践女子大英文科を首席で卒業後は、「朝日新聞社」で英字紙の編集に携わるほか、通訳を務めるなど、英語が堪能でした)
一方、うつみさんも、愛川さんの嘘をつかない一本気な性格や、博学であかぬけした話に笑い転げるなど、愛川さんに好意を持つようになっていったのだそうです。
(愛川さんも、高校中退ながら、高校は進学校で、当初は弁護士を目指し東京大学法学部への進学を考えるほどの秀才だったそうです)
「きんきんケロンパ歌謡曲」出演時の愛川欽也さんとうつみさん。
愛川欽也とは不倫奪略婚だった
そんな二人は、やがて、交際に発展するのですが・・・
実は、愛川さんには、既にこの時、奥さんと子供が2人おり、不倫関係。
(うつみさんは、4本のテレビレギュラー番組を、1978年6月に突然降板しています)
それでも、1978年11月には、愛川さんが奥さんと離婚し、晴れて、不倫ではなくなるのですが・・・
なんと、二人は離婚翌日(11月18日)に入籍したことから、
愛川さんは、当時の「俳優座」の仲間たちから、
売れない時代を支えてくれた糟糠(そうこう)の妻を捨てた
と、厳しく非難され、
うつみさんもまた、”不倫奪略婚”と世間から猛バッシングを受けたのでした。
愛川欽也の前妻・通子は売れない時代を支えた糟糠の妻だった
というのも、愛川さんは、高校を中退して「俳優座養成所」に入所しているのですが、前妻の通子さんはこの時の同期の女優だったそうで、
二人は熱烈な恋に落ち、やがて、通子さんの妊娠が分かり、籍を入れると、通子さんは、女優への道をあきらめ、家事と育児に専念していたそうで、2年後には2人目の子供も生まれているのですが、当時、まだ売れていなかった愛川さんとの生活を通子さんが支えていたというのです。
そんな中、愛川さんが、離婚の4ヶ月前に、通子さんに別れたい旨切り出すと、当初、通子さんは拒否したそうですが、愛川さんが説得を続けた結果、ついに通子さんが折れ、愛川さんが自宅や財産などをすべて通子さんと子供たちに残すことで離婚が成立していたのでした。
「うつみ宮土理と愛川欽也はおしどり夫婦ではなかった?」に続く
結婚直後のうつみさんと愛川欽也さん。(1979年1月撮影)