俳優として再起をかけ、「俳優養成所」時代の同期生が創った小さな劇団の公演に参加して、中国、四国、九州を巡る公演をスタートさせていた、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、広島を訪れた際には、母親と最後の別れをするよう背中を押してくれた、「俳優養成所」時代の旧友・クタクタが会いに来てくれるも、クタクタはまもなく他界してしまったといいます。

「愛川欽也は「俳優養成所」時代の旧友に慰められ帰宅していた!」からの続き

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「俳優養成所」時代の旧友・クタクタから余命わずかであることを打ち明けられる

クタクタとの再会を喜んだ愛川さんは、舞台が終わった後、夕方の広島の街に繰り出し、「でめ金」という喫茶店に入り、あんみつを注文したそうですが、

突然、クタクタから、

俺ね、もう長くないと思うんだ

と、打ち明けられたそうです。

(愛川さんは、その時、昔、クタクタから、敗戦の年まで広島の街の外れに住み、両親は原爆で他界したと聞いたことを思い出したそうで、クタクタの顔は、そのせいか、以前から蛍光塗料のような青い顔をして見えたそうですが、今、目の前にいるクタクタの顔は、それに少し黒が混じって見えたそうです)

そして、クタクタは、続けて、

俺、遠い親戚はいるけど付き合いはないし、一人ぼっちなんだよ。だから俳優やっても心から芝居を見てもらいたい人もいない。お前はいいよな。お袋がいて

と、言ったそうで、今まで見たことがないほど寂しそうな顔をしたそうです。

(この時、クタクタは、この店のあんみつがおいしいと愛川さんに勧め、自分も注文したにもかかわらず、半分も食べていなかったそうです)

クタクタは広島市内の病院に入院していた

実は、この時、すでに、クタクタは、広島市内の病院に入院していたそうで、愛川さんは、次の日、クタクタの病室にお見舞いに行ったそうですが、

ふと、クタクタは、

この病室は風が出てくると枯葉が飛んできて時々ガラスに当たるんだ。俺さ、昔役者には向いている人と向かない人があって、俺もお前も向いていないって言ったことがあったな

と、切り出すと、

(二人が「俳優養成所」3年生の時、親劇団「俳優座」の公演の配役が発表され、同級生何人かは、大きな役についたそうですが、愛川さんとクタクタはその他大勢で群衆の役の一人に過ぎなかったそうで、その帰り道に、二人で神田駅近くの安いカレーライス屋に行き、将来について話した時のこと)

あれは訂正させてくれ、俺が間違っていた。役者に向いているか向いていないかを決めるのは、死ぬ少し前でいいと思う。班長(愛川さんのこと)は役者を続けろよ

と、頭を下げて謝り、

その後、震える声で

会えてよかったよ。お前と話をしたかったから、今日は本当にうれしいなぁ

と、言ったそうで、

愛川さんは思わずクタクタに抱きつき、二人で泣いたのだそうです。

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クタクタが白血病で他界

こうして、面会時間が終わると、愛川さんは、悪い予感がし、帰り際、自分が泊まっている宿を医師に教えたそうですが、

悪い予感は的中し、その3日後、広島公演の最終日の深夜に医師から連絡があったそうで、病院に駆けつけた時には、すでにクタクタは息を引き取った後だったそうです。

ちなみに、臨終に駆けつけた者は、愛川さん以外に誰もいなかったそうで、

愛川さんは、

一度でも幸せな時があったのだろうか。彼の夢は何だったのだろうか。

と、本当にひとりぼっちだったクタクタを思いやり、

誰にも聞こえないよう小さな声で、

お疲れさん

と、言ったそうですが、

その後は、涙が止まらず、それ以上話をすることができなかったそうです。

(クタクタは白血病だったそうです)

「愛川欽也が若い頃は洋画とアニメの吹き替えで人気を博していた!」に続く

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