死の間際には、妻のうつみ宮土理さんだけではなく、前妻や、前妻との間に出来た子供たち、そして、晩年のパートナーと言われていた任さんへも、思いを馳せていたという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、今回は、そんな愛川さんの死因などについてご紹介します。
「愛川欽也は「劇団キンキン塾」の女優・任漢香と不倫していた!」からの続き
死因は肺ガン
愛川さんは、2014年の12月、体調不良が続き、病院で検査を受けたところ、「肺ガン」であることが判明したそうですが、
本人の希望で、自宅療養という形をとって仕事復帰を目指していたそうで、病気のことは周囲に伏せていたそうです。
肺ガンが判明した時には既に末期状態だった
というのも、病院で検査を受けた時には既にガンは末期状態だったそうで、手術をすれば長期入院しなければならず、放射線治療をするにしても、週5~6日の通院を最低2ヶ月は続けなければならずで、いずれにしても仕事に支障が出ることが避けられなかっため、
愛川さんは、
おれは絶対に仕事に穴はあけない
と、どちらの治療も拒否したのだそうです。
「重粒子線」治療を受けていた
そこで、愛川さんが選択したのは、「重粒子線」という治療法だそうで、この「重粒子線」は、放射線に比べ、より局所的に体内の奥深くまで届く重粒子線を照射するという治療法で、身体への負担も少なく、治療期間も週3日の通院で、早ければ2週間ほどで終わるという画期的なもので、
そのため、愛川さんも、治療の合間にレギュラーの「アド街ック天国」に休まず出演することができ、さらに、新作映画の脚本も書くなど、精力的に活動を続けることができたのだそうです。
治療の甲斐なく「アド街ック天国」を降板
こうして、愛川さんは、この治療にすべてを賭け、千葉県の病院まで通っていたそうですが、
(極めて高度な設備を必要とする「重粒子線」治療は、日本国内ではわずか4つの病院でしか受けられない上、保険適用外のため、治療費は300万円を超えるそうです)
残念ながら、治療の効果は芳しくなく、年明けからは在宅医療に切り替えたそうで、2015年2月4日に収録した「アド街ック天国」(3月7日放送)で1000回連続出演を達成すると、これを節目に番組を降板。
実は、この頃、既にガンは脊髄にまで転移していたそうで、2月4日収録当日も、高熱が出てまともに歩くことができず、気力だけで収録をこなしたそうですが、その後、都内のホテルで行われた記念パーティーには参加できないほど衰弱していたといいます。
最後まで周囲には病状を伏せていた
その後、3月に入ると、自宅に、介護ベッドや点滴器具が運び込まれるのが目撃されたことから、「重病疑惑」が相次いで報道されるのですが、妻のうつみ宮土理さんは、その間、「単なる風邪です」と重病説を否定。
そして、愛川さんは、2015年4月15日早朝5時、都内の自宅で、うつみさんに見守られ、息を引き取るのですが、4月17日に密葬が営まれるまで、その死は明かされぬまま、遺体は自宅に安置されており、
うつみさんは、愛川さんの死後、
愛川の強い意向で、病状を明かせなかったこと、深くお詫び申し上げます。愛川は最後まで仕事に復帰するつもりで頑張っており、皆様に公表することを頑なにお断りするよう申しておりました。
と、愛川さんの意思を尊重して嘘をついていたこと、自分のベッドを愛川さんの介護ベッドの隣に移し、つきっきりで看病していたことを明かしたのでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
愛川欽也さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 母親は天涯孤独だった
- 父親は印刷会社の社長も・・・
- 母親は父親の愛人だった
- 母親に溺愛されて育った
- 幼少期から優秀だった
- 幼い頃から自分の意志を持って行動していた
- 8歳の時から喫茶店通いをしていた
- 父親が家に来る回数は徐々に減っていた
- 戦争が始まり信州に学童疎開
- 空腹のあまり夜中に炊事場に忍び込み洗い物の釜の焦げを食べたことも
- 早く迎えに来てほしいあまりアメリカの爆撃がもっとひどくなればいいと思っていた
- 母親は着物と交換した砂糖で作ったかりんとうを差し入れてくれていた
- 空腹に耐えかねリンゴを盗んで食べたことも
- 疎開先を脱走し一人で汽車に乗って東京の家に帰る
- 母親と再会を喜び二度と離れないと誓う
- 戦争のため父親の会社が倒産の危機に
- 空襲を経験
- 空襲が激しくなり再び一人で埼玉県に疎開することに
- 東京に戻るも国の命令による家の取り壊しが始まっていた
- 疎開先では味噌汁を食べ過ぎて嫌味を言われていた
- 「東京大空襲」を免れていた
- 終戦を迎えるも東京・巣鴨の家は焼け、秋田の親戚の家に居候させてもらうことに
- 秋田行きの列車はぎゅうぎゅう詰めでトイレの中で立っていた
- 東北弁が理解できず自分の将来に不安を抱いていた
- 部屋が臭くてたまらなかった
- 鶏の世話を命じられていた
- 風呂は家族全員入り終わった一番最後だった
- 鶏の卵を内緒で売っていた
- 鶏泥棒を追いかけるも・・・
- 卵を売っていたことがバレてますます肩身の狭い思いをすることに
- 宿屋を営んでいる友達の親から部屋を借りることに成功する
- ようやく親子水入らずの生活を手に入れる
- 中学生の時には銀行の支店長の申し出で陽の当たる部屋に引っ越し
- 埼玉県大宮に引越
- 母親はいつもわがままを受け止めてくれていた
- 進学校・浦和高校に合格したことから弁護士を目指すことに
- 母親は激務から日に日にやつれていた
- 高校1年生の時フランス映画に魅了される
- 新劇の舞台に衝撃を受け俳優を志す
- 「自立劇団表現座」に入座を希望する
- 「自立劇団表現座」での裏方の仕事が楽しくて仕方なかった
- 「俳優養成所」の一次試験(書類・写真選考)に合格
- 「俳優養成所」のニ次試験の控室では他の受験者を見て気後れしていた
- 筆記試験はそこそこの手応えだった
- リズム感の試験は楽勝
- 音感の試験も楽勝
- 朗読の試験では自信喪失
- 最後のパントマイムの試験ではテンパり不合格を確信
- 自分の容姿を恨む気持ちが湧いていた
- 俳優養成所の受験なんかしなければよかったと思っていた
- 自分の力ではどうすることもできないことばかりがクローズアップされていた
- 「俳優養成所」の合格通知を受け取る
- 母親の夢があっけなく崩れ去っていくのを感じていた
- 「俳優養成所」の設立者・千田是也に可愛がられていた
- 千田是也の思想に大きな影響を受ける
- 「俳優養成所」の授業が楽しくて仕方なかった
- 高校を中退
- 「俳優養成所」の友達のバイト先のダンスホールに演奏を観に行くと・・・
- タンゴバンドのドラマーとして飛び入り参加することに
- ドラムの楽しさに目覚める
- バンド(ドラマー)のアルバイトはギャラが高額だった
- 母親に頼りきりの生活が続いていた
- 「俳優養成所」では浮いた存在になっていた
- 「俳優養成所」では同期や後輩が次々と飛躍を遂げていた
- 俳優をあきらめ本屋になる
- 発禁本が高値で売れるも・・・
- 中学時代の同級生にキャバレーでバンドをやらないかと誘われる
- バンドのマネージャーになって儲けるように
- ピンはねして儲けたお金で母親に小遣いを渡すも・・・
- キャバレーの社長に呼び出されると・・・
- バンドのマネージャーをクビになる
- チンピラ二人に絡まれる
- 本物のヤクザにケンカを仲裁される
- 知らぬ間に背中を刺されていた
- 父親が敗戦の翌年に他界していたことを母親から聞く
- 父親の死には冷静だったが・・・
- 母親から再婚話を打ち明けられ頭の中が真っ白になる
- 母親を大切にできなかった自分が情けなかった
- 母親が作ったオムライスをを噛み締めていた
- 母親の分まで生きようと誓っていた
- 「俳優養成所」時代の旧友・クタクタの部屋を訪ねていた
- 友人のクタクタに母親の再婚について慰められていた
- 広島公演で友人のクタクタと再会
- 「俳優養成所」時代の旧友・クタクタから余命わずかであることを打ち明けられる
- クタクタは広島市内の病院に入院していた
- クタクタが白血病で他界
- アメリカの俳優ジャック・レモンの吹き替えで評判に
- アニメの吹き替えでも人気を博す
- 子供向け番組「おはよう!こどもショー」のロバくん役では着ぐるみも
- ラジオ番組「パックインミュージック」のパーソナリティで人気を博す
- 紀行クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」でトップ司会者に
- 「はい、消えた!」「ひょうきん由美」「トランプマン」
- 楠田枝里子と名コンビ
- 「出没!アド街ック天国」ではギネス記録も
- 映画「トラック野郎」のやもめのジョナサンこと松下金造役でブレイク
- 「トラック野郎」シリーズ全10作品を画像で
- 菅原文太との出会い
- 「東映」は「仁義なき戦い」シリーズ後のヒット作を模索中だった
- 「トラック野郎」は愛川欽也が企画したものだった
- 星桃次郎と松下金造(やもめのジョナサン)の中年コンビが誕生
- 歌手としても活動していた
- 「死ね死ねブルース」は隠れた名曲?/li>
- 大槻ケンヂも絶賛
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 製作・監督作品(映画)
- 製作・監督作品(テレビドラマ)
- 劇団「キンキン塾」を設立
- 「十津川警部シリーズ」を自ら降板していた
- 初代亀井刑事役は綿引勝彦だった
- 十津川警部が三橋達也の時は亀井刑事が主役格だった
- 十津川警部が高橋英樹になってからの亀井刑事が本来(原作)の形だった
- 最初の妻は「俳優養成所」時代の同期の女優
- 2人目の妻・うつみ宮土理との馴れ初めは?
- 前妻と離婚成立も不倫の末の結婚に世間からは猛バッシング
- 結婚記者会見は愛川欽也と事務所社長のみ出席
- 息子(長男)は俳優の井川晃一
- 娘(長女)は女優の佳村萌
- うつみ宮土理とは「おしどり夫婦」と呼ばれるも・・・
- 「劇団キンキン塾」の看板女優・任漢香との不倫が写真週刊誌に報じられる
- 妻・うつみ宮土理は表面的には余裕の対応も・・・
- 任漢香は愛人にとどまらずパートナー的な存在だった
- 死因は肺ガン
- 肺ガンが判明した時には既に末期状態だった
- 「重粒子線」治療を受けていた
- 治療の甲斐なく「アド街ック天国」を降板
- 最後まで周囲には病状を伏せていた
について、まとめてみました。
少年時代は、何でもわがままを許してくれる献身的で優しいお母さんに守られながらすくすく成長すると、大人になってからも、妻・うつみ宮土理さんに、度重なる女性スキャンダルや制作費に1億円を超える「趣味」の映画製作などを許してもらい、最後は献身的な介護で看取ってもらった愛川さんですが、好き放題しても憎めないところが、愛川さんの最大の魅力だったのかもしれません。
愛川さんのご冥福をお祈りします。