幼い頃からおしゃべりが好きで、落語家や歌謡曲の司会に憧れていたという、徳光和夫(とくみつ かずお)さんですが、高校2年生の時には、東京六大学野球の立教対慶應戦で、当時、神宮の星と言われていた長嶋茂雄さんがホームランを打って喜ぶ姿を見て、衝撃を受け、長嶋さんに全てを捧げる決意をしたといいます。

「徳光和夫は中学時代には歌謡ショーの司会にも感銘を受けていた」からの続き

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高校2年生の時長嶋茂雄が小躍りしながらベースを回る姿に感動する

幼い頃からおしゃべりが好きで、落語家や歌謡曲の司会に憧れていたという徳光さんですが、プロ野球も好きだったそうで、

(中学までは、西鉄ライオンズ、特に大下弘さんのファンだったそうです)

高校2年生の時(1957年11月3日)、東京六大学野球を観戦していると、当時、神宮の星と言われていた長嶋茂雄さんが、東京六大学野球新記録となる第8号ホームランを打ち、嬉しさから小躍りして仲間と一緒にベースを回る姿を見て感動したそうで、

人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう

と、決意したそうです。


東京六大学のホームラン記録(8本)を更新した長嶋茂雄さん。

長嶋茂雄が在籍していた立教大学を受験する

そんな徳光さんは、長嶋さんの後輩になりたいと思い、長嶋さんが在籍していた立教大学に行こうと、学校の先生に相談したそうですが・・・

先生からは「君の学力じゃ到底無理だ」と言われてしまったそうです。

(徳光さんいわく、徳光さんが通っていた高校は、都立に落ちたドロップアウト組が行く高校だったそうです)

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立教大学に補欠で合格

それでも、諦めきれない徳光さんは、必死で勉強し、立教大学の文系学科4学部すべてを受験したそうですが、合格発表を見に行くと、やはり全滅。

しかし、ふと、合格発表の掲示板の隅っこを見ると、「補欠はあちら」と書いてあったため、見に行くと、なんと、社会学部に補欠で合格していたのだそうです。

ちなみに、合格した原因は、

ヤマを張って集中的に勉強した日本書紀が、試験に丸々出題されていたから

と、後に、徳光さんは語っているのですが、

立教大学に関しては、受験に行って初めてキリスト教系の大学だと知り、

俺んちは天台宗だけど大丈夫かな?

と、心配になるほど、長嶋さん以外のことは何の興味もなかったそうです(笑)

(ただ、徳光さんは、長嶋さんより5歳年下だったため、同時に在籍することはなかったそうです)

「徳光和夫は立教大では応援団入部もやがて放送研究会に転部していた!」に続く

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