1973年2月、テレビドラマ「時間ですよ(第3シリーズ)」で女優デビューすると、たちまち人気を博し、同年4月に発売された、同ドラマの劇中歌「赤い風船」も大ヒットした、浅田美代子(あさだ みよこ)さんは、同ドラマでは、共演した樹木希林さんに可愛がられ、その後も、公私に渡って親交を深めたといいます。

「浅田美代子が若い頃は「赤い風船」でアイドル歌手としてブレイクしていた!」からの続き

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「時間ですよ」では樹木希林に可愛がられていた

国民的人気ドラマ「時間ですよ(第3シリーズ)」の新人オーディションで、見事、参加者2万5000人の難関を突破し、同ドラマに出演すると、たちまち、人気を博した浅田さんですが、

実は、同ドラマで共演した女優の樹木希林さんは、プロデューサーの久世光彦さんと共に、このドラマの新人オーディションに審査員として参加していたそうで、

浅田さんは、樹木さんと初めて会った時には、「変わった人だな」と思ったそうですが、とにかく、右も左も分からない世界だったため、いつの間にか、樹木さんの後を金魚のフンのようにくっついて歩くようになったそうです。

すると、樹木さんも、そんな浅田さんをかわいがってくれたそうで、週5日行われる撮影では、お昼ご飯も夜ご飯も一緒に食べるなど、ずっと一緒に過ごしたそうです。


「時間ですよ」より。(左から)堺正章さん、浅田さん、樹木希林(当時は悠木千帆)さん。

樹木希林から女優としての基礎を教わっていた

また、樹木さんからは、このドラマの収録を通して、現場でのあり方や礼儀、台本との向き合い方、アドリブでの芝居など、役者としての基本を教えてもらったそうで、

(ドラマの舞台が銭湯だったため)目の前に裸の人がたくさんいて、恥ずかしくて目をそらしていると、「あんたは従業員なんだから、堂々と見てなきゃダメなの」と注意されたこともあったそうです。

そんな浅田さんと樹木さんは、この出会いをきっかけに、以降、長い時間を一緒に過ごすようになり、樹木さんが他界する2018年まで親交は続いたのだそうです。

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アイドルとして順調にキャリアを積む

さておき、浅田さんは、その後も、アイドルとして、

1973年7月「ひとりっ子甘えっ子」
     10月「わたしの宵待草」
     12月「恋は真珠いろ」
1974年3月「しあわせの一番星」
     6月「虹の架け橋」
     8月「じゃあまたね」
     12月「想い出のカフェテラス」
1975年3月「少女恋唄」
     10月「この胸にこの髪に」

と、立て続けにシングルをリリースしつつ、

1974年「隠密剣士突っ走れ!」
     「寺内貫太郎一家」
     「時間ですよ・昭和元年」


「隠密剣士突っ走れ!」より。荻島真一さんと浅田さん。

1975年「水戸黄門 第6部」第24話
     「あこがれ共同隊」
     「なつかしき海の歌」
     「花吹雪はしご一家」
1976年「われは海の子」


「なつかしき海の歌」より。(左から)浅田さん、
吉田拓郎さん、加山雄三さん、梶芽衣子さん。

と、テレビドラマにも出演し、女優としても順調にキャリアを積んだのでした。

「浅田美代子が若い頃はいしだあゆみや小川知子にイジメられていた?」に続く

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