1979年のシーズン途中に、CBCラジオから野球解説者としての契約を解除されてしまった、板東英二(ばんどう えいじ)さんですが、その後、上岡龍太郎さんを頼って関西に活動の拠点を移すと、上岡さんのもとで修行を積み、やがて、クイズ番組の司会でブレイクを果たします。

「板東英二が野球解説者をクビになった理由とは?」からの続き

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上岡龍太郎の推薦で活動の場を関西に移す

生放送中にキー局の幹部にキレたり、当時、巨人の監督だった長嶋茂雄さんのサインを見破ったりしたことで、1979年のシーズン途中に、CBCラジオの野球解説者をクビになったという板東さんは、

(当時人気の高かった「ばつぐんジョッキー」の出演は続けるよう言われ)「同じ局なのに、これ(プロ野球中継での解説者)はダメで、あれ(「ばつぐんジョッキー」のパーソナリティ)は良いというのはおかしい」と言ったら、(CBCの番組を)全部クビになってしまった

と、盛って語っているのですが、

実際は、その後も、板東さんは、1984年3月まで、「ばつぐんジョッキー」月曜日のパーソナリティを継続しているほか、野球の解説も、CBCテレビ・ラジオの野球中継で解説者が不足している時などには、時々、単発ゲストとして復帰しています。

上岡龍太郎のもと漫才や漫談に取り組む

さておき、そんな中、初対面から意気投合して親交を深めていた上岡龍太郎から声をかけられ、

(上岡さんは、テレビ局スタッフから「面白いタレント居らへんか?」と聞かれて板東さんを思いついたそうです)

活動の拠点を関西に移すと、上岡さんのもと、上岡さんの弟子や落語家など様々な人たちと、漫才や漫談を一緒にやるようになったそうです。

当初は素人同然の話術でラジオ番組をクビになったことも

ただ、当初、板東さんは、素人同然の話術だったことから苦戦続きだったそうで、そのため、大阪のラジオをすぐにクビになったこともあったそうですが、

上岡さんから、

何もなくても、大声を出しながら一生懸命やっていれば、他人に『面白いことを言っている』と錯覚させることができる

と、アドバイスをもらい、

チケットが売れなくても、月1回は(板東さんいわく)汚い小屋でライブをしたり、落語家・桂枝雀さんのテープを聴いて落語に取り組んだり、野球漫談をしたりと、一生懸命取り組んだそうです。

クイズ番組「THE ビッグ!」のメイン司会者でブレイク

そんな中、1979年、上岡さんの推薦により、クイズ番組「THE ビッグ!」のメイン司会者に起用され、当時、日本ではほとんど知られていなかったビンゴゲームを海外から取り入れて、視聴者参加型のビンゴゲーム大会を展開すると、一躍ビンゴブームを巻き起こす大ヒット。

これにより、板東さんも、たちまち人気司会者としてブレイクを果たし、

後に、板東さんは、

それで大阪で認められたんかな? だから一番初めは僕がセンターで横が(笑福亭)鶴瓶と(桂)文珍で、外回り(外からの中継担当)が(明石家)さんまでしたからね。もう一気にがーっていくんです。

と、語っています。

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「マジカル頭脳パワー!!」「世界・ふしぎ発見!」「クイズ!ヘキサゴンⅡ」等でも人気を博す

そして、翌年の1980年には、韓国のゲームを取り入れた、視聴者参加型のクイズ番組「ノンストップゲーム」でも、桂文珍さんと横山ノックさんとともに司会を務めて人気を博すと、

以降、クイズ番組やバラエティ番組の司会者・解答者として引っ張りだことなり、1990年代には、「マジカル頭脳パワー!!」の司会者ほか、「世界・ふしぎ発見!」「クイズ!ヘキサゴンⅡ」など、数多く出演。

特に、「マジカル頭脳パワー!!」(1990)では、解答者の意見を一方的に遮断する威圧的な司会術や相方の永井美奈子さんやパネラー達との絶妙なやりとりが人気を博し、1999年まで、9年も続く長寿番組となったのでした。

「板東英二は昔「金曜日の妻たちへⅡ」で篠ひろ子の夫役をしていた!」に続く


「マジカル頭脳パワー!!」より。板東さんと永井美奈子さん。

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