本格的に作曲家を目指すべく、仕事のかたわら、作曲活動に打ち込んでいたという、宇崎竜童(うざき りゅうどう)さんは、やがて、いくつかのバンドを集めて音楽出版社を立ち上げ、そのバンド達のために曲を書いていたそうですが、なんと、宇崎さん自身がレコード会社からバンドデビューを持ちかけられたといいます。
「宇崎竜童が若い頃は音楽プロダクションで裏方として働いていた!」からの続き
バンドデビューのオファーを受けるも裏方という立場上辞退していた
店長をしていた横浜市本牧のクラブを倒産させてしまった宇崎さんは、その後、銀座で弾き語りの仕事をしつつ、いくつかのバンドを集めて新しい会社(音楽出版社)を立ち上げたそうで、そのバンド達のために曲を書き、そのバンド達を売り込むためにコンベンションを開き、自身も参加したそうですが、
まさかの宇崎さん自身に、レコード会社2社から「レコーディングをしないか」とバンドデビューのオファーが。
ただ、宇崎さんは、自分はあくまで裏方で、しかも売り込みたいバンドが他にあるのに、自分が表舞台に立っていいわけがないと思い、断ったそうです。
別の機会にもバンドデビューのオファーを受けるも到底無理と断るつもりだった
また、宇崎さんは、別の機会にも、宇崎さんの曲を聴いたディレクターから、
君は自分で歌ってデビューした方がいいよ
と、言われたそうで、
歌を歌うことを望んでいなかった宇崎さんは、一晩考えさせてほしいと言って家に帰り、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、はっぴいえんど、吉田拓郎さん、岡林信康さんなど、洋楽、邦楽問わず、尊敬するアーティストのレコードを引っ張り出し、片っ端から聴いてみたそうですが、
やはり、
とてもじゃないけど同じ土俵の上には乗れない
と、今回も断ろうと思ったそうです。
泉谷しげるを見て自信がつきバンドデビューのオファーを受けていた?
しかし、その瞬間、たまたま、泉谷しげるさんのレコードがポンっと床に落ちたそうで、
泉谷しげるさんのデビューアルバム「春夏秋冬」
それまで何十回と聴いた泉谷さんのデビューアルバムだったそうですが、改めてジャケットを見ると、
うわ、このルックスでイイんだ!
と、これなら自分もいけると(歌も鼻歌のようだったため)、なんとなく自信がつき、流れに乗ってみることにしたそうで、
すぐに、
レコード作らせていただきます
と、返事をしたのだそうです(笑)
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成
こうして、宇崎さんは、1972年、26歳の時、まず、ソロシングルを発表すると、翌年の1973年12月には、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成し、ファーストシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。
すると、1974年12月に発売した3rdシングル「スモーキン・ブギ」がヒットしたそうで、
宇崎さんは、
デビュー当初は鳴かず飛ばずで、ビアガーデンなどを回ってライブもやりました。当時一緒にステージに立ったバンド仲間には、Charや後に楽曲提供することになる内藤やす子さんもいましたね。
そのうちに『スモーキン・ブギ』がヒットして、作曲の依頼も来るようになったんです。
と、語っています。
「知らず知らずのうちに」
「宇崎竜童は昔「キャロル」(矢沢永吉)のパクリと批判されつなぎにしていた!」に続く