1973年12月、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成し、1stシングル「知らず知らずのうちに」でデビューすると、1974年12月に発売した3rdシングル「スモーキン・ブギ」がヒットした、宇崎竜童(うざき りゅうどう)さんですが、今回は、トレードマークの”つなぎ”の衣裳が誕生した経緯についてご紹介します。
「宇崎竜童が若い頃は「ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンド」!」からの続き
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」のスタイルは「キャロル」(矢沢永吉)とかぶっていた
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」といえば、リーゼントに”つなぎ”のスタイルがトレードマークですが、もともとは、このスタイルではなかったといいます。
というのも、当初、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の音楽は、どちらかというとブルースロックで、メンバーは長髪に近く、革ジャンを着て、ロンドンブーツをはいていたそうですが、
1974年、ファースト・アルバムを発売するタイミングに、ちょうど、矢沢永吉さん率いる同じスタイルのロックバンド「キャロル」が大々的に売り出されたことで、宇崎さんたちは、「キャロルのモノマネ」と批判され、変更を余儀なくされたのだそうです。
(「キャロル」は1972年デビューで、「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」より先輩)
初期の頃の「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」。
リーゼント&タキシードに変更するも・・・
そこで、宇崎さん達は、やむなく、革ジャンでないものを探し始めると、ドラマー(一時期「キャロル」にいたそうです)の提案で、リーゼントとタキシードにすることに。
ただ、タキシードは、夏のビアガーデンで営業をしていると、汗で塩昆布のようになってしまい、使い物にならなくなってしまったそうです。
「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の衣裳がつなぎになった理由とは?
そんな中、ドラマーが、アルバイトに使っていたつなぎを「寝間着にしたら?」とくれたことがあったそうですが、宇崎さんが、そのつなぎを着て夏の海辺の音楽フェスに出演すると、中学生の女の子たちがパーッと駆け寄って来て、
お兄さん、カッコいいね!
と、言ってきたそうで、
宇崎さんは、
つなぎなんてカッコ悪いじゃん
と、答えたそうですが、
女の子たちは、
カッコ悪いのが“カッコいい”んだよ
と、言ったそうで、
そこで、宇崎さんは、
おお!! そういうことか!
と、納得し、
当時住んでいた家の裏に作業服屋があったことを思いつき、さっそく店に行くと、つなぎは、たったの3550円だったそうで、宇崎さんは、メンバーの分も合わせて4つ購入し、そのつなぎが「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の衣裳になったのだそうです。
(タキシードは1着十数万円もしたそうです)
「宇崎竜童は若い頃「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット!」に続く
つなぎ姿の「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」。