「桜姫東文章」で白菊丸を演じると、たちまち、作家の三島由紀夫さんらを魅了したという、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、今回は、そんな坂東さんと三島さんの初めての出会いをご紹介します。
「坂東玉三郎は白菊丸で三島由紀夫の長年の疑問を解決していた!」からの続き
三島由紀夫は白菊丸を演じた役者が(まだ無名の)坂東玉三郎と知らなかった
1967年3月、国立劇場の「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」で白菊丸役を演じる坂東さんを見て、たちまち魅了されたという作家の三島由紀夫さんは、ちょうど、翌4月1日には国立劇場の理事(非常勤)となったことから、(フリーパスとなり)しょっちゅう、国立劇場に通っていたそうで、
当時、国立劇場に勤務していた中村哲郎さんによると、三島さんから、(当時、坂東さんはまだ無名だったことから)「あれは一体、誰だろう?」と声をかけられたそうですが、それだけで誰のことを言っているのかすぐに分かったそうで、
「(桜姫)東文章」で白菊丸をやった玉三郎です。勘弥(喜の字屋)の養嗣(息子)です
と、伝えたといいます。
(また、坂東さんにも、既に三島さんが褒めていたことを伝えていたそうです)
坂東玉三郎は隣の席に座っているのが三島由紀夫と知っていた
そんな坂東さんと三島さんが初めて出会ったのは、それから3ヶ月後の1967年6月に上演された公演「天下茶屋の敵討(かたきうち)」の時だったそうで、
坂東さんが、養父・守田勘弥さんが出演していたため、客席で観ていたところ、その隣に三島さんが座り、並んでお芝居を観たそうで、
坂東さんは、この三島さんとの出会いについて、「演劇界」(1987年6月号)のインタビューで、
三島先生とは 国立で『天下茶屋』の通しが出た時、初日の招待券で見ていたら、隣にいらして、母が幕間に紹介してあげるからねって言っていたのが、途中からいなくなられたのです。
そうしたら、使いの方(中村哲郎さん)がみえて、『隣に居たのは幕内の子だと思うけど、誰だろう』 って・・・
と、語っています。
一方、三島さんはというと、
(坂東さんが美少年過ぎて、緊張して)あの子の隣にいられないんだ
と、身近な人にもらしていたそうです。
坂東玉三郎と三島由紀夫の出会いはドラマティックだった
ちなみに、中村哲郎さんは、著書「歌舞伎の幻」(1970年)の中に収録されている「坂東玉三郎論」(1968年6月執筆)で、三島さんが坂東さんと出会った時のことを、
それは水のように晴れた、ある初夏の穏やかな昼下がりのことです。宮城の緑を背にした国立劇場のロビーの一階で、僕は詩人の高橋睦郎さんから《萩の古寺に眠る男友(アミ)》 という、如何にもこの詩人好みの悲愛譚(ロマネスク)を聞いていました。
芝居も中日に近くそろそろ序幕がきれる頃の一刻の静寂(しじま)。その時突然、三島由紀夫氏が、純白のズボンに空色のTシャツという、アポロも斯くやの眩いばかりの粧いで御出現になりました。
《いま、俺の傍に物凄い美少年がいた。あれは凄い!あとで見に行って御覧。》との凜然たる御託宣。例の晴朗とした哄笑を残されると、忽ち騎士的な寛濶な歩容(あるきぶり)で還御になりました。
(高橋)睦郎さんは《稚児には興味がないよ》などと心にもなき噓を宣(のたま)いますから、僕が軽薄派(おっちょこちょい)を発揮して場内に駆け付けてますと、本当本当、優にやさしい 闇夜の黄水仙(ジョンクウィル)如き少年が、ひっそりとプログラムを縫っているではありませんか。
そしてそれが、何と少年女方・坂東玉三郎 だったのです。
と、ドラマティックに綴っています。
「坂東玉三郎の「桜姫東文章」の「白菊丸」は一般受けはしていなかった!」に続く