国立劇場ではなく、伊藤信夫さん個人に白羽の矢を立てられた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、坂東さんを国立劇場のスターに押し上げる計画は、坂東さんの知らぬところで、着々と進んでいきます。

「坂東玉三郎は国立劇場のスター役者には格好の存在だった!」からの続き

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売り出される計画が伊藤信夫によって実行される

国立劇場専属のスター役者の必要性を感じ、坂東さんに白羽の矢を立てた伊藤信夫さんは、1967年12月の演目が、「曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」で、14代目守田勘弥さんが、御所の五郎蔵役とその前身の須崎角弥役の2役で出演することが決定していたものの、細かいことはまだ決まっていなかったことから、

上司で制作室長の加賀山直三さんと打ち合わせの際、まず、通し上演であることを確認し、「時鳥殺し」のシーンを出すことの念を押すと、

(御所の五郎蔵役と)百合の方を勘彌さんの二役でやると面白いでしょうね。

と、加賀山さんに投げかけたそうです。

(※「百合の方」とは、奥州の大名・浅間巴之丞(あさまともえのじょう)の正妻の母で、巴之丞の妾・時鳥をなぶり殺しにする敵役)

加賀山直三は守田勘弥が「百合の方」を受けるわけがないと思っていた

すると、加賀山さんは、

百合の方は敵役なので、實川延若(じつかわ えんじゃく)がいい

と、言ったそうで、

(まだ實川延若さんには打診はしていなかったそうです)

伊藤さんは、

いいや、立役と敵役と二役やったほうが、役者は気がいいですよ

と、これに反論。

すると、加賀山さんは、

勘彌は断わるよ

と、そっけなく言ったそうで、

伊藤さんは、

いや、おさめようですよ

と、押し返したのだそうです。

伊藤信夫は加賀山直三をうまく誘導していた

ただ、加賀山さんは、伊藤さんのアイディアには乗りたいものの、勘弥さんを説得する自信がなかったことから、

おさめられるかね

と、本音を漏らしたそうで、

伊藤さんが、

私が行って、おさめてきましょうか

と、さらに、プッシュすると、

加賀山さんは、

行ってきてくれるか

と、言ったそうですが、

どうせおさまりっこないと小馬鹿にした表情で、伊藤さんにタバコの煙を吹きかけたのだそうです。

14代目守田勘弥は「百合の方」役を快諾するも・・・

こうして、伊藤さんは、さっそく、その日の夕方、勘弥さんの楽屋を尋ね、

(勘弥さんはこの月、国立劇場に出ていたそうです)

12月の公演では、百合の方もやってくれないかと持ちかけると、

勘弥さんは、

(市川)小團次や(尾上)菊五郎もやった役ですから、いい役です

と、良い反応を示したそうですが、

それで、時鳥は?

と、聞いてきたそうです。

(伊藤さんによると、その時の勘弥さんの目は厳しくギラギラと輝いていたそうで、時鳥を誰が演じるかによって百合の方を引き受けるかどうかを決めようという、意思を感じたそうです)

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14代目守田勘弥は坂東玉三郎の「時鳥」役抜擢を怪しんでいた

そこで、伊藤さんが、

実は(勘弥さんの弟子で養子である)玉三郎さんを使いたいんです

と、言うと、

勘弥さんは、驚きとも恐れともつかない声で、

いいんですか

と、言ったそうで、

伊藤さんが、

あなたが、 いいならば

と、言うと、

勘弥さんは、

私は悪いはずはありません

と、言いつつも、

裏に何かあるんでしょう

と、警戒したのだそうです。

(勘弥さんにとって、時鳥役を、弟子で養子である坂東さんが演じることは願ってもない話だったのですが、そんな都合のいい話があるはずがなく、時鳥役をやる代わりに、この次はどうでもいい役をやれ、などの見返りが必ずあるのだろうと疑っていたのだそうです)

「坂東玉三郎を国立劇場のスターにする計画は本人に内緒で進んでいた!」に続く

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