「戦場のメリークリスマス」では、国内での資金集め、海外での資金集め共になんとかクリアした、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、キャスティングでも、様々な問題が生じ、幾度も変更を余儀なくされていたといいます。
「大島渚の「戦メリ」はニュージーランドのタックス・シェルターを利用していた!」からの続き
緒形拳がハラ軍曹役を演じる予定だった
実は、1981年の時点では、ハラ軍曹役には、緒形拳さんが内定しており、緒形さんも、かなりの熱意を見せていたそうですが、そんな中、緒形さんに、1982年のNHK大河ドラマ「峠の群像」の主役のオファーが舞い込んだそうで、それでも緒形さんは、大島さんの映画があるからと、大河ドラマを断ろうとしていたそうですが、
(この段階では、「戦場のメリークリスマス」は、資金調達が難航しており、いつクランクインできるか見通しが立っていない状況だったため、緒形さんのこの姿勢は、周囲を慌てさせたそうです)
やがて、大島さんにもその話が漏れ伝わると、大島さんは、いくら名優と謳われる緒形さんといえども、大河ドラマの主役は早々回ってくるものではなく、いつクランクインできるかも分からない不確かな映画のためにいつまでも待たせるのは悪い、という気持ちから、関係者を通して、緒形さんに、大河ドラマに出ることを勧めたのだそうです。
すると、それを聞いた緒形さんは、怒り、嘆いたそうで、結局、緒形さんは、「戦場のメリークリスマス」には出演せず、大河ドラマに出演することになったのだそうです。
「峠の群像」で大石内蔵助に扮する緒形拳さん。
滝田栄が陸軍大尉ヨノイ役を演じる予定だった
また、1981年の時点では、陸軍大尉ヨノイ役には、滝田栄さんが内定していたそうで、滝田さんも、緒形さん同様、かなりの意欲を見せていたそうですが、
滝田さんもまた、1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」の主役・徳川家康役に抜擢されたそうで、「戦場のメリークリスマス」は降板したのだそうです。
「徳川家康」で徳川家康に扮する滝田栄さん。
新たな陸軍大尉ヨノイ役として沢田研二にオファーするも・・・
こうして、緒形さん、滝田さんと、立て続けにキャスティングの変更を余儀なくされた大島さんは、その後、沢田研二さんをヨノイ役にと、拘禁所長役に決定していた内田裕也さんに仲介を頼み、紀尾井町のホテルニューオータニで沢田さんと顔合わせをすると、沢田さんもヨノイ役へ大きな興味を示したそうですが・・・
沢田さんはすでにライブツアーの日程が決まっており、その間のスタッフの生活を背負っていることから、取りやめるわけにはいかず、撮影時期を変更できないかと頼まれたそうです。
ただ、この時、すでに、主演のデヴィッド・ボウイさんには、(まったく仕事を入れない状態で)3年も待ってもらっており、デヴィッドさんのアルバム制作が1982年末から予定されていたため、同年8~10月まで、「戦場のメリークリスマス」の撮影に参加することになっていたそうで、これ以上、デヴィッドさんには延期を求めることができない旨を沢田さんに告げると、物別れに終わったそうで、
同席していた内田裕也さんは、後に、その時のことを、著書で、
すると沢田はすくっと立ち上がって『それではこの話はなかったことにしてください』ときっぱり。オレは思わずテーブルの下からバンと沢田の足を蹴飛ばしたが後の祭り(著書「ありがとうございます」より)
あいつ断ったんだよ。あのときのデウィッド・ボウイと沢田研二って、あれ以外ないキャスティングなのよ(著書「俺は最低な奴さ」より)
と、綴っています。
「大島渚が「戦メリ」でビートたけしに出演オファーした経緯とは?」に続く