1960年に女優の小山明子さんと結婚すると、小山さんとの間には2人の男の子が誕生している、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、今回は、そんな大島さんの次男をご紹介します。
「大島渚の息子(長男)大島武は東京工芸大学教授!」からの続き
息子(次男)はドキュメンタリー監督・プロデューサーの大島新
大島さんの次男は、1969年9月13日に誕生した、大島新(おおしま あらた)さんで、新さんは、フジテレビのディレクターを経て、現在は、ドキュメンタリーの監督・プロデューサーをされています。
次男の大島新さん。
新さんは、1995年、早稲田大学を卒業後、フジテレビに入社すると、ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」に提出した企画が採用され、初のディレクター作品「先生は銀メダリスト」を手掛けると、その後は、「ザ・ノンフィクション」のほか、「NONFIX」などでディレクターを務め、
1999年にはフジテレビを退社すると、以降、フリーとなり、「情熱大陸」「課外授業ようこそ先輩」などの演出を手掛けたそうで、
2007年には、監督を務めたドキュメンタリー映画「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」が「第17回日本映画批評家大賞ドキュメンタリー作品賞」を、
2020年には、衆議院議員の小川淳也を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」が「第94回キネマ旬報ベスト・テンで文化映画ベスト・ワン」を受賞しています。
息子(次男)は小学生の頃「大島渚の息子」と言われるのが嫌だった
そんな新さんは、お父さんの渚さんには、過保護ともいえるほど甘やかされて育ったそうですが、「大島渚の息子」と言われることや、お母さん(小山明子さん)は舞台が始まると1ヶ月以上家に帰ってこない芸能人の子供という自身の境遇が嫌だったそうで、小学生の頃は、「将来の夢」について、「ふつうの人」と書いたこともあったそうです。
息子(次男)は「愛のコリーダ」を撮った父親にショックを受けていた
中でも、特に嫌だったのが、お父さんの映画「愛のコリーダ」が公開され、過激な性描写が問題になったことで、
当時、新さんは、まだ小学1年生で、何も理解していなかったそうですが、(両親が不在がちだったため)面倒を見てくれていたおばあちゃんが「愛のコリーダ」を子供たちに見せないようにしていたことから、子供ながらに不穏な空気を感じ、
そのうち、「愛のコリーダ」の関連書籍が猥褻(わいせつ)であるとする、表現を巡る裁判が続くうちに、年を重ね、だんだんと理解出来るようになり、学校で、「お前の父さん、いやらしい映画を撮ってるらしいな」などと、面と向かって言われ、自分のお父さんはそんな人なのかとショックを受けたのだそうです。
息子(次男)は「愛のコリーダ」がトラウマになっていた
その後、「愛のコリーダ」は5年に及ぶ裁判の末、無罪が確定するのですが、そのトラウマから、30歳くらいになるまでは、「愛のコリーダ」については、話をするのも嫌だったそうで、
新さんは、
無罪になったからといって、作品自体が変わるわけではありません。ですから父の仕事を遮断するように、日常生活を送っていました。
有名人の子供が犯罪に走るケースをよく目にしますが、あの頃の感覚を振り返ると、その気持ちには共感できる部分があります
と、暗い子供時代を過ごしたことを語っています。
息子(次男)がテレビのドキュメンタリーを選んだ理由とは?
そんな新さんが、映像の道へ進んだのは、やはり、お父さんの渚さんの影響だったそうですが、映画ではなく、テレビのドキュメンタリーを選んだのは、お父さんと比較されることが重荷に感じたことはもちろん、「愛のコリーダ」の件で、映画の世界とは距離を置きたかったからだそうです。
ちなみに、新さんは、2021年に、「愛のコリーダ」の修復版を観たそうですが、
大島渚のそれまでの作品との大きな違いは、“俳優を生かした”点だと実感しました。父の中にあるフェミニズムも強く感じましたね。
主人公の吉蔵が、何でも相手の言うことを聞いてあげる姿に、公開当時、フランスでは女性に好評だった理由もわかった気がします。“純愛“というより、性を真正面からとらえた“純性”の映画でもあるでしょう
と、ドキュメンタリー監督ならではの視点で分析しています。
(新さんは、2014年には、お兄さんの武さんとの共著「君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉」を刊行しています)
「大島渚は「脳出血」で倒れ回復するも「十二指腸潰瘍せん孔」で再び倒れていた!」に続く