滅多に行かない小学校では、人だかりになって危険と、孔雀(くじゃく)の檻(おり)に入れられるも、芸能界では可愛がられ、家庭でも、個性的な両親のもと何不自由なく伸び伸びと育っていたという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、やがて、戦時色が濃くなると、興行に向かうために乗っていた列車が爆撃を受け、九死に一生を得ていたといいます。
「中村メイコは小学校で孔雀の檻に入れられ鍵をかけられていた!」からの続き
乗っていた列車が爆撃を受けるも九死に一生を得ていた
人気子役として活躍しながらも、個性的な両親のもと、何不自由なく伸び伸びと育っていたという中村さんですが、やがて、戦争ムード一色になり、街の上空を戦闘機が飛ぶようになったそうで、
1942年5月、5歳の時には、興行で徳川夢声さんの一座と九州へ向かっている際、乗っていた列車が攻撃を受けたそうで、中村さんは、お母さんに抱きかかえられ、線路脇の麦畑に飛び降りて九死に一生を得たそうです。
ちなみに、そんな中、お母さんが、
列車が燃えているから、当分行けないわね
と、言ったそうで、
中村さんは、
どうするの? どこに泊まるの?
と、聞き返したそうですが、
お母さんには、
泊まるところなんかないわよ。そんなこと言ってる時じゃないわ
と、怒られたそうで、今でもその時のことをよく覚えているそうです。
8歳の誕生日は戦時下の閑散とした下関でわびしい気持ちになるも・・・
その後、中村さんは、なんとか下関駅にたどりつき、ホームで門司駅へ向かう関門連絡船を待っていたそうですが、
(まだ、関門トンネルが開通していなかったため)
その日は、ちょうど、中村さんの8歳の誕生日(5月13日)だったにもかかわらず、戦時下の下関は閑散としていて、わびしい気持ちになっていると、
(誕生日は、毎年、家族で盛大にお祝いしてもらっていたそうです)
徳川夢声さんが、
メイコちゃん、今日やけに機嫌が悪いみたいだけど、どうしたの?
と、気遣って声をかけてくれたそうで、
中村さんが、
だって、今日は私の誕生日なんだもん。 毎年、おうちでパーティをしてくれるのに、こんなところでイヤだな
と、言うと、
徳川さんは、
そうか・・・。 まだ船がでるまで時間があるから、街に出かけよう。何かプレゼントを買ってあげる
と、言って、下関の街に連れ出してくれたのだそうです。
徳川夢声から誕生日プレゼントに虫眼鏡をもらっていた
ただ、中心街でも店は開いておらず、人影もまばらだったそうで、やっと、店を開けている古びた時計店を見つけるも、品物も少なく、そんな中から、徳川さんは、折りたたみの小さな銀色の携帯用の虫眼鏡を選んでくれたそうですが、中村さんは、もっと女の子っぽいものが欲しかったため、ふくれっ面でいたそうですが、
下関駅の連絡船のホームに戻ると、徳川さんは、みかんを一袋買い、網袋を縛る紐を抜き取り、虫眼鏡の穴に通してペンダントのようにし、
お誕生日、おめでとう。虫眼鏡は何でも拡大して見えるから、おもしろいものだよ。これで楽屋の畳のヘリでも、ありんこでも花でも、見てごらん。 普通では気づかないようなことを、発見できるよ
と、中村さんの首にかけてくれたそうで、
中村さんは、その興行の間、虫眼鏡で何でも拡大して見てみると、世界は大きく広がったそうで、徳川さんの言った通り、思いのほか楽しく、虫眼鏡で物を見ることに夢中になっていったのだそうです。
徳川夢声には仲人も頼み快諾してもらっていた
ちなみに、中村さんは、結婚する際、
徳川さんに、
先生にいただいた虫眼鏡で拡大して、よく観察した結果・・・この人と結婚することに決めました。つきましては、お仲人をお願いできないでしょうか?
と、仲人をお願いすると、
徳川さんは、
それなら、無条件降伏だな。よし、仲人を引き受けよう
と、快諾してくれたのだそうです。
(その虫眼鏡は今も宝物として大切に取ってあるそうです)
「中村メイコは子役時代に特攻隊の慰問を要請されていた!」に続く