美空ひばりさんとはしょっちゅう一緒に飲みに行くほど、気のおけない仲だったという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、美空さんは52歳の若さで亡くなり、美空さんの字で書かれたメモと共に黒いサングラスと黒いハンカチを遺品として受け取ったといいます。
「中村メイコは夫・神津善行の浮気を美空ひばりに防いでもらっていた!」からの続き
美空ひばりが入院
お酒が大好きだったという中村さんと美空ひばりさんは、しょっちゅう、ゲイバー等に飲みに行っていたそうですが、やがて、美空さんは、飲み過ぎが原因で体を壊してしまい、1987年4月には、重度の「慢性肝炎」と「両側大腿骨骨頭壊死」で全国ツアー中の福岡で緊急入院を余儀なくされたそうで、
中村さんは、入院中の美空さんを見舞いに行き、
ごめんね。お酒が私にはなんともないのに、あなたの体には悪いほうに出ちゃって。
と、言ったそうですが、
美空さんはというと、
それは違う!私はメイコの倍飲んでいた。
と、強く主張し、
ずいぶんお酒を飲んだわ。 メイコの倍は飲んだかもしれない。メイコが帰ってから一人でまた飲んでいたしね。メイコには、飲みすぎると止めてくれる人がいる。
神津(善行)さんやカンナちゃんたちが。飲み過ぎちゃダメだと止めてくれるでしょう。私はママが死んでから、(身内で)一番偉くなったから、周りに「お酒」といえば、どんどん持って来てくれる人ばかり。
止めてくれる人がいなくなっちゃった。止めてくれる人がいるのは 幸せなことだと思うわ
と、言ったそうです。
(中村さんは、今でも、その時の美空さんの言葉が忘れられないそうです)
美空ひばりは一旦は回復するも再び病状が悪化していた
それでも、美空さんは、3ヶ月半の療養で順調に回復し、1988年4月には、東京ドームで復活公演をするまでに回復したそうですが・・・
翌年の1989年2月には、再び「肝硬変」が悪化し、2月から始まった全国ツアーは、わずか2回で中止に。
美空さんは、しばらく自宅療養した後、再度入院することが決まったそうですが、入院する前日の夜、中村さんに電話をかけてくると、
メイコ、今、試しに布団を被って、『リンゴ追分』を歌ってみたんだけど・・・。ワンコーラス歌うだけで息が苦しいの。あの美空ひばりが、だよ
と、言ったそうで、
中村さんは、娘のカンナさんの部屋へ行き、一晩中泣いたそうです。
美空ひばりの訃報を受け病院に駆けつけると遺品の黒いサングラスと黒いハンカチを渡される
そんな中、ついに、1989年6月、美空さんが亡くなったという報せを受け、病院に駆けつけると、美空さんの息子の和也さんから、黒いサングラスと黒いハンカチを渡され、
そこには、
泣き虫メイコが来たら、これを渡してください
と、美空さんの字で書かれたメモが添えられていたそうで、
中村さんは、
そのサングラスで隠し切れないくらいの涙を、私は流した。ハッピーに生きてきた私にとって、ひばりさんの死はいちばん悲しい出来事だった。でも、ひばりさんのおかげで死ぬことが怖くなくなった。だって死ねば、美空ひばりに会えるのだから。
ただ心配なのは、ひばりさんがちゃんと迎えに来てくれるかどうかということだ。彼女も私もとんでもなく方向オンチだから。ひばりさんのくれた宝物が、道しるべになってくれるかな。
と、語っています。
(美空さんの遺品のサングラスとハンカチは、中村さん自身が他界した時に一緒に埋葬してもらうつもりだそうです)
親友は美空ひばりただ一人
ちなみに、中村さんは、美空さんのお葬式で、
私はもう、友達は持たないでしょう。あなたが最高だったから
と、弔辞を読んだそうですが、
その言葉どおり、今も、美空さんに代わる友達はいないそうです。
(黒柳徹子さんとは親しくしているそうですが、お互いの家に行き来したり、一緒にご飯を食べに行くような関係ではなく、程よい距離感が保たれているそうです)
中村さん(左)と美空ひばりさん。