22歳の時、日本テレビの廊下で一目惚れして、口説き落として結婚して以来、40年以上、妻の昌子さんにべた惚れだったという、永六輔(えい ろくすけ)さんですが、2001年6月に、昌子さんが末期ガンで余命2~3ヶ月と宣告され、3ヶ月の在宅介護の末、他界した後も、ずっと変わらない想いを持ち続けていたといいます。   

「永六輔の妻は元女優!馴れ初めは?」からの続き

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妻・昌子の他界で15キロ痩せていた

2001年6月に、末期ガンと診断された妻の昌子さんは、幼少期を父親の仕事の都合で中国・北京で過ごし、終戦後の引き揚げの際には酷い体験をしていたことから、死の覚悟ができており、

ガンで死ぬんじゃない、寿命で死ぬんだ

と、言い、

自宅の大好きなソファで、娘さんたち2人に抱かれて息を引き取ったそうですが、

永さんはというと、昌子さんの死が受け入れ難く、精神的に参り、15キロも痩せたそうです。

(永さんも、幼少期、お寺で育ち、戦時中には、お寺に安置されている焼けた遺体を見たり、まだお葬式の済んでいない棺のない遺体の側で寝たこともあったそうで、子供の頃から、「人間はいつか死ぬ」ということを嫌というほど分かっていたつもりだったそうですが、昌子さんの死は辛すぎたそうです)

妻の死後も妻宛のハガキを自宅に送り続けていた

そんな永さんは、昌子さん亡き後も、昌子さんの誕生日には、(生前通り)娘や孫たちを誘って、食事会を開くほか、日記代わりに、昌子さん宛にハガキを書き続け、投函していたそうで、

(自宅に届けられたハガキは1500通を超えたそうです)

永さんは、著書「永六輔のお話し供養」で、

人の死は一度だけではありません。最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき。でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。

最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。そう僕は思っています。

と、綴っています。


永六輔のお話し供養

娘は?

ちなみに、永さんと昌子さんの間には、女の子が2人誕生しており、長女は、1959年に誕生した、映画エッセイストの永千絵(えい ちえ)さん、


長女の永千絵さん。

次女は、1961年8月8日に誕生した、元アナウンサーで、エッセイストの永麻理(えい まり)さんです。


次女の永麻理さん。

(永さんに息子さんはいらっしゃいません)

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孫は?

また、次女・麻理さんは、1993年に長男(永さんの孫)の岡﨑育之介(おかざき いくのすけ)さんを出産しているのですが、

育之介さんは、16歳の時、芝居の勉強を始め、18歳から俳優として活動をスタートすると、「最後から二番目の恋」でテレビドラマデビューし、2020年からは、脚本・演出・監督としても活動を開始するほか、YouTube Liveでドラマも生配信しているそうで、現在、俳優、脚本家、演出家、監督として活動しています。


孫の岡﨑育之介さん。

そして、麻理さんは、1996年には次男(永さんの孫)の永拓実(えい たくみ)さんを出産しているのですが、拓実さんは、幼い頃から、永さんの書斎を見て育ったせいか、本に囲まれていると安らぎを感じるほど、本が好きだそうで、

東京大学文学部(美学芸術学科)在学中だった2017年には、祖父である永さんについて一冊の本にまとめた「大遺言:祖父・永六輔の今を生きる36の言葉」を出版すると、ベストセラーとなっています。


孫の永拓実さん。

ちなみに、拓実さんは、孫の視点から見たおじいちゃんの永さんについて、

祖父は“言葉の職人”とも言われていました。僕の前では、読むというより書くことに忙しかった印象ですが、たくさんの優れた言葉を読まないと、自分が優れた言葉を書くこともできないはずなので、祖父はやはり多くの本を読み、多くの言葉を見聞きしていたのだと思います

と、語っており、

これからもたくさん本を読んでいきたいと思っているとのことでした。


大遺言:祖父・永六輔の今を生きる36の言葉

「永六輔はパーキンソン病だった!」に続く

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