1960年、ミッキー・カーチスさんと婚約するも、1961年には、アメリカ公演中に知り合ったジャック・セラーさんと結婚した、雪村いづみ(ゆきむら いづみ)さんですが、1966年には、ジャック・セラーさんとも離婚すると、その後に出会った、バリトンサックス奏者の原田忠幸さんと再婚。しかし、原田さんとも1978年には離婚しています。
「雪村いづみはミッキー・カーチスと婚約破棄していた!娘は?」からの続き
バリトンサックス奏者の原田忠幸と再婚
1960年にミッキー・カーチスさんと婚約していたにもかかわらず、1961年には、アメリカ公演中に知り合ったジャック・セラーさんと結婚し、マスコミに激しく叩かれたという雪村さんですが、ジャック・セラーさんとも、わずか4年後の1966年には離婚。
そして、1967年1月には、バリトンサックス奏者の原田忠幸さんと再婚しています。
(原田さんは、お父さんがイギリス人、お母さんが日本人の、ハーフだそうです)
2人目の夫・原田忠幸とアメリカで挙式
実は、この頃、雪村さんは、アメリカで活躍することを夢見ており、1966年、ジャック・セラーさんと離婚後は、その実現のため、当時、交際中で、日本でミュージシャンとして活動していた原田さんと共に渡米しているのですが、
アメリカでは、当時、とても有名だった「シャーターレストランハウスクラブ」のドナルド・オコーナーさんのショーに、雪村さんがヴォーカリスト、原田さんが伴奏で出演したことがあったそうで、
(オコナーさんは、黄金時代のハリウッドの大スターで、名作「雨に唄えば」にも出演しているそうです)
ある日のこと、オコーナーさん夫妻とコーラスの人たちに、「君たち結婚したの?」と聞かれたことがあり、雪村さんと原田さんが、「まだです」と答えると、「(ネバタ州)リノにいる間に結婚式をあげよう」と、言ってくれたそうで、オコーナーさん夫妻とコーラスの人たちが立会人になってくれ、結婚式を挙げたのだそうです。
雪村さんと2番目の夫の原田忠幸さん。
2人目の夫・原田忠幸との離婚原因は?
そんな雪村さんと原田さんは、ロサンゼルス・サンタモニカのアパートで新婚生活を始めたそうですが、ロサンゼルスは仕事が少なかったそうで、知人のオファーをきっかけに、1年半後にはラスベガスに移り住んだそうですが・・・
その後、雪村さんの仕事の都合で帰国すると、1973年には別居となり、1978年1月には離婚。
原田さんは、
さすがにラスベガスはショービジネスの本場です。仕事をするにつれて、プレイヤー、ボーカリストをはじめ、知人、友人も次々に増え、その後、日本に戻ってからの仕事上でも大きな財産となりました。
また、有名歌手やバンドに直接触れましたから、僕自身それらの栄養素をたっぷり吸収できました。日本では絶対に経験できないことですから。
アメリカの永住権も取得して、家も購入しました。またハワイでの仕事もありましたし、ラスベガスで腰を落ち着けるつもりでした。
しかし、家内(雪村さん)の事務所から、帰国要請の連絡が度々入って、やむなく一時帰国することになったのです。もちろん、もう一度戻るつもりでしたから、家も売却せず知人に管理を頼んでの帰国でした。
しかし、帰国したら仕事のオファーが多くて、戻るチャンスを逸してしまったのです。数年後、とうとうハワイで永住権を放棄することになったのは、断腸の思いでしたね。
と、語っているのですが、
実際のところは、雪村さんが、9歳年下のミュージカル俳優の飯野おさみさんと恋仲になったことが離婚原因だったようで、
このことを知った原田さんが、自ら雪村さんのもとを去ったとも、離婚が成立しないまま雪村さんが家を飛び出して、飯野さんと同棲生活を始めたとも言われています。
「雪村いづみは元「ジャニーズ」飯野おさみと事実婚状態だった!」に続く