バラエティ番組の司会で大ブレイクすると、1972年には、俳優としても、「知らない同志」でテレビドラマデビューするほか、1977年には、NHKのドラマ「北上山系」にも出演するなど、俳優としても目覚ましい活躍をするも、ハードスケジュールがたたって倒れてしまい、4ヶ月もの間、入院していたという、せんだみつおさんですが、入院中にはノイローゼになっていたといいます。
「せんだみつおは昔過労で倒れ4ヶ月間入院していた!」からの続き
入院中はノイローゼになっていた
1978年12月には、過労がたたって入院したせんださんですが、入院したことや病状などを発表しなかったことから、週刊誌や新聞などには、肝臓ガンではないかと書きたてられたそうで、
「金曜10時!うわさのチャンネル!!」のディレクターがお見舞いに来てくれた際には、「手相でガンを発見する方法」という内容の本を渡されたそうですが、
せんださんは、「やめてよぉ」と言って笑いつつも、そのうち本当に怖くなってきてしまい、ノイローゼになってしまったそうです。
(病院にいることによって、自分は死ぬのではないかと、悪いことばかり考えるようになったのだそうです)
田宮二郎自殺のニュースがノイローゼに拍車をかけていた
また、そんな中、1978年12月28日には、俳優の田宮二郎さんが自殺したことから、ますます、せんださんのノイローゼはひどくなったそうで、
さすがに、これはまずいと思い、完全に回復するまでは、退院せず、療養に専念しようと決めたのだそうです。
(お正月も家には帰らず、奥さんがずっと、つきっきりで看病してくれたそうですが、3ヶ月遅れで入ってくるテレビや映画の出演料があったため、経済的には問題がなかったそうです)
テレビドラマ「知らない同志」では田宮二郎から親切にしてもらっていた
ちなみに、田宮さんは、せんださんが初めて出演したテレビドラマ「知らない同志」(1972年)で主演を務めていたそうですが、端役だったせんださんにも親切にしてくれたほか、せんださんがMCを務めるラジオにも、自身の映画を宣伝するために出演してくれたことがあったそうで、
その際、田宮さんは、
せんだくん、僕はこの映画にかけてるんだよ
と、言っていたそうです。
また、田宮さんは、
僕にできることがあったら相談してよ
とも、言ってくれていたそうですが、
その映画は失敗に終わったそうで、
せんださんは、(入院中だった)自分とは比べ物にならないほど悩んでいたのだろうと語っています。
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