独特の存在感で、数多くのテレビドラマや映画に引っ張りだこの、大森南朋(おおもり なお)さんですが、
小学生の時には、絵を描くことが好きで漫画家に憧れ、高校生の時には、テレビで洋楽チャート番組「ベストヒットUSA」などを観てロックに夢中になり、自らもバンドを組んで音楽活動を始め、ミュージシャンになることを夢見ていたといいます。
今回は、そんな大森南朋さんの、生い立ち(幼少期~高校時代)をご紹介します。
大森南朋のプロフィール
大森南朋さんは、1972年2月19日生まれ、
東京都の出身、
身長178センチ、
血液型はA型、
学歴は、
大成高校
⇒明治大学文学部卒業?
です。
大森南朋は国籍は韓国?
大森南朋さんの国籍について、ネット上では、「韓国籍では?」との噂がありますが、日本国籍だと思われます。
そもそも、なぜ、大森南朋さんが「韓国籍」だと噂されるようになったのか、はっきりとした理由は不明ですが、
おそらく、大森南朋さんが主演を務めたテレビドラマ「サイン-法医学者 柚木貴志の事件-」が韓国で大ヒットした同名ドラマのリメイクで、
作品の紹介やレビューなどで「韓国」が頻繁に登場したことから、”大森南朋さん=韓国”となったのでは、と思われます。
大森南朋の本名の由来は?改名している?
ちなみに、「大森南朋」は本名だそうですが、
お父さんの麿赤兒(まろ あかじ)さんが、自身の父親(大森南朋さんのおじいさん)が1歳の時に南の島で戦死したことから、「南」の「友=朋」で「南朋」と名付けたのだそうです。
(大森南朋さんは、一度も改名をしておらず、デビュー以来ずっと、本名の「大森南朋」で活動しています)
大森南朋の父親の名前は?読み方は?
そんな大森南朋さんのお父さんの麿赤兒(まろ あかじ)さんは、個性派俳優かつ舞踏家で、”アングラ界の怪人”と自称しているのですが、その通り、強烈な存在感を放っており、一度見たら忘れられません。
さすがの大森南朋さんも、このお父さんのアクの強さにはかないませんが、十分にお父さんの血は受け継いでいますね。
大森南朋の母親は「風月堂の女王ダダ」
また、大森南朋さんのお母さんは、小林桃枝さんと言い、「風月堂の女王ダダ」と呼ばれていたといいます。
(”ダダ”とは”ダダイズム”のことで、既存の秩序や常識を否定する芸術運動のことをいうそうですが、小林桃枝さんは、独特の服装をしていたことから、”女王ダダ”と呼ばれていたのだそうです)
ちなみに、風月堂は、かつて東京都新宿区にあったクラシックレコードを聴かせる喫茶店で、1960年代、多くの文化人や著名人、演劇関係者が集まっていたそうで、
小林桃枝さんは、風月堂の常連客だった麿赤兒さん(大森南朋さんのお父さん)とここで知り合って結婚したそうですが、大森南朋さんが幼い頃に離婚したそうです。
大森南朋の兄は映画監督の大森立嗣
大森南朋さんのお兄さんは、「ゲルマニウムの夜」「まほろ駅前多田便利軒」「さよなら渓谷」「まほろ駅前狂騒曲」などの映画監督でお馴染みの、大森立嗣(おおもり たつし)さんで、
大森立嗣さんは、数々の映画で賞を受賞するほか、俳優としても映画に出演しています。
大森南朋さんの兄・大森立嗣さん。
大森南朋は小学生の時は漫画家になりたいと思っていた
さておき、大森南朋さんは、お父さんの麿赤兒さんとお母さんの小林桃枝さんのもと、2人兄弟の次男として誕生すると、
幼い頃から漫画が好きで、小学生の時には、教科書の後ろの隅によく漫画を描いていたそうですが、描いた漫画を褒められたことから、将来は漫画家になりたいと思っていたといいます。
大森南朋は高校1年生の時はバンド活動に夢中になりミュージシャンになりたいと思っていた
ただ、小学校から中学校に上がる頃、ロックバンドが流行り始めたそうで、大森南朋さんも、テレビで洋楽チャート番組「ベストヒットUSA」などを観て、ロックに傾倒したそうで、
イギリスのロックバンド「ローリング・ストーンズ」に影響を受け、ギターを買って弾き始めると、高校1年生の時には、バンドを組んでライブをするなど、バンド活動に夢中になり、ミュージシャンになりたいと思うようになったのだそうです。
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