2000年、66歳の時には、「タケモトピアノ」のCMでコミカルなパフォーマンスを披露した(CMは2022年現在も放映中)、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、実は、61歳の時、「脳出血」と診断され、大手術を受けていたといいます。

「財津一郎が結婚当初は妻に経済的に支えられていた!」からの続き

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「脳出血」で10時間以上にも及ぶ開頭手術を受けていた

1965年、31歳の時、「非っ常にキビシ~ッ!」「~してチョーダイ!」のギャグでブレイクし、ようやく貧乏生活から脱出したという財津さんは、以降30年間、俳優として、映画、ドラマ、舞台に幅広く出演し、睡眠時間を削って、馬車馬(ばしゃうま)のように働いたそうですが、

そんな無理がたたってか、1995年、61歳の時には、「脳出血」で大手術を受け、生死の境をさまよっていたといいます。

財津さんによると、1995年6月、61歳の時、前日から頭がぼーっとし、ベッドから起き上がれずにいたことから、救急車を呼び、自宅から病院まで運ばれると、検査の結果、「脳出血」と診断されたそうで、すぐに開頭手術が行われ、10時間以上にも及ぶ大手術となったのだそうです。

ちなみに、財津さんは、その時のことを、

ちょうど、ドラマの撮影をしていた時です。翌日も撮影があり、私は記憶にないのですが、「撮影に行く、撮影に行く」とうなされていたようです。

と、語っています。

手術後は後遺症もなく無事回復

すると、手術は無事に成功したものの、1ヶ月間の入院と100日余りの闘病生活を送ることになったそうで、一時は左手がうまく動かなくなるほか、鋲(びょう)で右脳を固定している状態だったため、時々、頭にピリピリとした痛みを感じることがあり、

もうだめかもしれないなぁ

と、思ったこともあったそうです。

それでも、大好きなゴルフをしようと、思い切って、クラブを握り、振ってみると、シュッと風を切る爽快な音が聞こえたそうで、このことをきっかけに、リハビリに励むようになり、その後、無事、回復したのだそうです。

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余生を妻と過ごすため77歳の時に芸能活動を停止

そんな財津さんは、これからはできるだけ妻のミドリさんと2人で過ごしたい、と思うようになったそうで、徐々に仕事をセーブし、2011年、77歳の時に出演した、テレビドラマ「3年B組金八先生ファイナル」を最後に、芸能活動を停止。

その後は、ミドリさんと2人で、大好きなゴルフをするなど、仕事にもお金にも追われることなく、平穏な日々が続いたそうですが・・・

「財津一郎は足が不自由になるも妻の介護を1人で担っていた!」に続く

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