妻・萬壽子さんとの間に3人の子供が誕生している、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんですが、実は、そのほかに、養女が1人いたといいます。今回は、その養女についてご紹介します。
養女は黒人と日本人のハーフ
妻の萬壽子さんとの間に3人(女1男2)の子供が誕生している森繁さんですが、実は、そのほかに、桂子さんという、黒人と日本人のハーフの養女が1人いるといいます。
1966年、森繁さん(53歳)は、ラジオ番組「今晩は森繁です」でパーソナリティーを務めていたのですが、「小関桂子」さんという女性から手紙が来たそうで、その内容というのが、両親が行方不明で、そのうえハーフであるがゆえ、悲惨な境遇にあるというものだったそうで、
これにショックを受けた森繁さんは、桂子さんを引き取ることにしたのだそうです。
(ただ、この時はまだ、養女にする正式な手続きはしていなかったそうです)
国籍がなく国際結婚ができなかったため「森繁」の籍に入れていた
その後、月日が流れ、桂子さんは、アメリカ人のクラークさんという男性と恋に落ちて、ロスで結婚式を挙げることになり、渡航手続きのため、アメリカ大使館に行ったそうですが、パスポートもビザも出してもらえなかったそうで、
森繁さんは、著書「大遺言書」で、
この子には国籍がありませんでした。戦後の混乱期のことだからといくら説明しても、(大使館の人は)納得してくれません。佐世保のころの住民票なんかを取り寄せて交渉しましたが、埒(らち)があかない。
そこで私たちは、桂子を養女にしました。森繁桂子。これで文句があるか。文句はあると言うのです。ほんとうの国籍ではない。向こうも意地になっていたのかもしれません。
女房が怒りました。大使館の人に、この子の幸福をメチャクチャにするつもりかと、噛みつきました。私がびっくりするくらいの剣幕でした
と、綴っています。
ちなみに、奥さんは、その後、桂子さんを連れ、10日間続けて大使館に抗議に行ったそうで、最後には、ついに、大使館も折れてビザを発行したのだそうです。
(その時、奥さんと桂子さんは、人目もはばからず、大使館の門前で抱き合って泣いたそうです)
「大遺言書」
養女はカリフォルニアで幸せな結婚生活
そして、桂子さんが横浜から出港する船に乗ってクラークさんの待つカリフォルニアに出発する日、森繁さん夫婦が港に見送りに行くと、(森繁さん夫婦が用意した)赤の地に桜の花を散らせた華やかな振り袖を着た桂子さんが甲板で船縁にすがり、
お父さまー
お母さまー
と、叫んだそうで、
森繁さんは、そんな桂子さんを見て、涙が止まらなかったそうです。
また、森繁さんが、ふと、奥さんの方を見ると、奥さんは、下を向いたまま顔を見せようとしなかったそうで、森繁さんの掌を掴んで震えていたそうです。
(その後、桂子さんは、クラークさんとカリフォルニアで幸せな結婚生活を送っているそうですが、森繁さんの奥さんが1990年に他界すると、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌には、日本に帰って出席したのことでした。)