33歳の時、「花ひらく」で実質的に映画監督デビューして以来、「ビルマの竪琴」「炎上」「おとうと」「鍵」「股旅」など数多くの名作映画を世に送り続け、なんと、92歳(享年)まで映画を撮り続けた、市川崑(いちかわ こん)さん。今回は、そんな市川さんの監督作品を画像を交えてご紹介します。

「市川崑が有馬稲子に不倫を暴露された理由とは?」からの続き

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監督作品(映画)

それでは、ここで、市川さんのデビュー以来の主な監督作品をご紹介しましょう。

映画では、

1935年「弱虫珍選組」
1936年「新説カチカチ山」※演出ほか
1945年「娘道成寺」※演出
1947年「東宝千一夜」※構成

*以下が実質的な監督昇進後作品

1948年「-「眞知子」より- 花ひらく」
     「三百六十五夜 東京篇・大阪篇」
1949年「人間模様」
     「果てしなき情熱」
1950年「銀座三四郎」※再公開・短縮版では「銀座の猛者」と改題
     「熱泥地」※再公開・短縮版では「現金と美女と三悪人」と改題
     「暁の追跡」※再公開・短縮版では「警察官と暴力団」と改題


「-「眞知子」より- 花ひらく」より。高峰秀子さん。

1951年「夜来香」
     「恋人」
     「無国籍者」
     「盗まれた恋」
     「ブンガワンソロ」
     「結婚行進曲」


「盗まれた恋」より。久慈あさみさんに演技指導をする市川監督。

1952年「ラッキーさん」
     「若い人」
     「足にさわった女」
     「あの手この手」


「足にさわった女」より。(左から)沢村貞子さん、伊藤雄之助さん、越路吹雪さん。

1953年「プーサン」
     「青色革命」
     「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」
     「愛人」

1954年「わたしの凡てを」
     「億万長者」
     「女性に関する十二章」
1955年「青春怪談」
     「こころ」


「こころ」より。安井昌二さん。

1956年「ビルマの竪琴 第一部」
     「ビルマの竪琴 第二部」※現存するフィルムは監督自身によって編集された「総集編」
     「処刑の部屋」
     「日本橋」


「処刑の部屋」より。若尾文子さんと川口浩さん。

1957年「満員電車」
     「東北の神武たち」
     「穴」
1958年「炎上」
1959年「あなたと私の合言葉・さようなら、今日は」
     「鍵」
     「野火」


「炎上」の撮影で市川雷蔵さん(左)と香川良介さんに演技指導をする市川さん。

1960年「女経」※オムニバス作品。第2話「物を高く売りつける女」の監督を担当。
     「ぼんち」
     「おとうと」
1961年「黒い十人の女」
1962年「破戒」
     「私は二歳」


「おとうと」の撮影で岸恵子さんと川口浩さんに演技指導をする市川さん。

1963年「雪之丞変化」
     「太平洋ひとりぼっち」
1964年「ど根性物語 銭の踊り」
1965年「東京オリンピック」※総監督
1967年「トッポ・ジージョのボタン戦争」


「雪之丞変化」より。若尾文子さん。

1968年「第50回全国高校野球選手権大会 青春」※総監督
1971年「愛ふたたび」
1973年「時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日」※男子100Mを担当
     「股旅」
1975年「吾輩は猫である」


「吾輩は猫である」より。仲代達矢さん。

1976年「妻と女の間」
     「犬神家の一族」
1977年「悪魔の手毬唄」
     「獄門島」
1978年「火の鳥」
     「女王蜂」


「獄門島」より。左は石坂浩二さん。

1979年「病院坂の首縊りの家」
     「銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999)」※監修
1980年「古都」
1981年「幸福」
1983年「細雪」


「幸福」より。中央は水谷豊さん。

1984年「おはん」
1985年「ビルマの竪琴」
1986年「鹿鳴館」
1987年「映画女優」
     「竹取物語」


「おはん」より。吉永小百合さんと石坂浩二さん。

1988年「つる -鶴-」
1991年「天河伝説殺人事件」
1993年「帰って来た木枯し紋次郎」
1994年「四十七人の刺客」
1996年「八つ墓村」


「八つ墓村」より。豊川悦司さんとうじきつよしさん。

2000年「どら平太」
     「新選組」
2001年「かあちゃん」
2006年「犬神家の一族」
2007年「ユメ十夜」※第二夜を担当


「どら平太」より。役所広司さんと宇崎竜童さん。

監督作品(テレビドラマ)

1959年「恋人」
     「冠婚葬祭」
     「恋飛脚大和往来・封印切の場」
     「隣の椅子」


「恋人」より。池部良さんと久慈あさみさん。

1960年「足にさわった女」
     「駐車禁止」
1961年「檸檬」
     「破戒」


「破戒」より。市川雷蔵さん。

1963年「プロ」
1965~1966年「源氏物語」※3話分を監督、その他は演出指導
1972年「木枯し紋次郎」※第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修
     「ただいま浪人」
1973年「追跡」
1974年「丹下左膳」


「丹下左膳」より。高橋幸治さん。

1977年「われらの主役 男の詩・長嶋茂雄
     「われらの主役 金田一登場・石坂浩二」
1979年「ゆく年くる年・その愛」※総監督
1989年「御存知!鞍馬天狗」
1990年「終戦45年ドラマスペシャル 戦艦大和」


「終戦45年ドラマスペシャル 戦艦大和」より。中井貴一さんと仲代達矢さん。

1995年「その木戸を通って」
1996年「刑事追う!」
1999年「赤西蠣太」
2002年「盤嶽の一生」
     「逃亡」※第1、2話演出、その他は監修
     「黒い十人の女」
2003年「娘の結婚」
     「水戸黄門」※第29部・第30部OPタイトルバック


「盤嶽の一生」より。役所広司さんと鈴木京香さん。

監督作品(CM)

1966年「ホワイトライオン」(ライオン歯磨 (現・ライオン)
1966年「日産・セドリック」(日産自動車)
1971年「ディスカバー・ジャパン」(日本国有鉄道 (現・JRグループ)
1972年「新幹線岡山開業 汽車会見篇」(日本国有鉄道)
1973年「ブリヂストン」(ブリヂストン)
     「本造り黄桜 桜踊り篇」(黄桜酒造 (現・黄桜)
     「トヨタ・パブリカスターレット」(トヨタ自動車)

1975年「HOYA バリラックス」(保谷硝子 (現・HOYA)
1977年~「サントリーオールド」(サントリー)
     「カネボウ シルクレディ」(カネボウホームプロダクツ (現・クラシエホームプロダクツ)
     「クボタ 業容篇」(久保田鉄工 (現・クボタ)
1978年「アクアフィルター」(アメリカンドラッグ・コーポレーション)
     「ニチレイ コーンポタージュ」(日本冷蔵 (現・ニチレイ)
1979年「味の素 ハイ・ミー」(味の素)
     「ぺんてるシャープ」(ぺんてる)

1980年「オールトヨタ・セール」(トヨタ自動車)
1980~1990年「サントリーレッド、オールド」(サントリー)
1981年「フジ ビデオカセット」(富士写真フイルム (現・富士フイルム)
1982年「ナショナルαデジタル」 「甲子園の詩」シリーズ(松下電器産業 (現・パナソニック))計15本
1983年「龍角散 エチケッ」ト(龍角散)
     「三洋証券 がんばれ!ニッポン! 山下篇」(三洋証券)
     「日本中央競馬会 少年と馬篇」(日本中央競馬会)
1986年「ナショナル 全自動洗濯機“愛妻号” 単身赴任物語」(松下電器産業)
1988年「日本高速通信 0070 涙篇」(日本高速通信)
1995年「ナショナルのあかり おかえりなさい神戸のあかり篇」(松下電器産業)

ほか、数多くの作品を制作されています。

受賞・受章歴

また、市川さんは、1956年には、「ビルマの竪琴」「エディンバラ国際映画祭」グランプリ、「ヴェネツィア国際映画祭」サン・ジョルジョ賞、「アカデミー賞外国語映画賞」ノミネート、「リスボン国際映画祭審査員」特別賞

1959年には、「野火」「ロカルノ国際映画祭」グランプリ、「バンクーバー国際映画祭」カナダ映画協会賞、

1960年には、「鍵」「カンヌ国際映画祭」審査員賞、

1961年には、「おとうと」「カンヌ国際映画祭」フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション、


「おとうと」より。岸惠子さんと川口浩さん。

1962年には、「私は二歳」「アジア映画祭」監督賞、

1965年には、「東京オリンピック」「カンヌ国際映画祭」青少年向映画賞、「UNICRIT賞」「英国アカデミー賞」長編記録映画賞、「国連平和賞」「モスクワ国際映画祭」スポーツ連盟賞、

1983年には、「細雪」「アジア太平洋映画祭」グランプリ・監督賞、


「細雪」より。古手川祐子さん(左)と吉永小百合さん。

1984年には、「おはん」「東京国際映画祭」審査員特別賞、

2000年には、「ベルリン国際映画祭」特別功労賞、

2001年には、「モントリオール世界映画祭」功労賞、「第19回川喜多賞」

2007年には、「東京国際映画祭黒澤明賞」

など数々の賞を受賞されているほか、

1982年には「紫綬褒章」
1988年には「勲四等/旭日小綬章」
1994年には「文部省文化功労者選出」
2008年には「正四位/旭日重光章」

も受章されています。

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フォント

ところで、一般的には、タイトルのロゴなどは、デザイナーに任せるのが普通なところ、市川さんは、映画のクレジットで、「黒背景+白文字明朝体+L型配置」というデザインを使用されています。

というのも、市川さんは、タイトルのヴィジュアルについて、

作品の内容を端的に表す重要なファクター

と、考えておられたことから、すべてご自分で作られていたのだとか。

ちなみに、三谷幸喜さんが、「古畑任三郎」のクレジットでよく似た演出をされているほか、

アニメーターの庵野秀明さんも、「新世紀エヴァンゲリオン」の各タイトルで、この「黒背景+白文字明朝体+L型配置」を使用されており、庵野さんは、市川さんへのオマージュであると公言されています。


現在では、このスタイルは、「エヴァ風タイトル」と呼ばれているようです。

「市川崑の自宅は”例のプール”だった!」に続く

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