小学生の頃に知り合い、中学生の時に交際をスタートして以来、70年以上に渡り、妻・純子さんと連れ添っているという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、男女交際が禁じられていた当時、今では考えられない形で密かに愛を育んでいたといいます。
高校時代は図書室の本棚にラブレターを挟んでやり取りしていた
妻の純子さんに小学生の頃から惹かれ、中学2年生の時にラブレターを渡したことがきっかけで、恋愛が禁止されてた中、交際をスタートしたというムツゴロウさんは、人目を忍んでデートをしていたそうですが、
(戦争が終わり、ようやく男女共学が始まったばかりで、中学生同士の恋愛は禁止されていたそうです)
それは、高校生になってからも変わらず、(2人は同じ大分県立日田高校に進学したそうです)お互い図書委員だったことから、図書室の本棚の何段目に手紙を挟んだと純子さんに伝え、純子さんがムツゴロウさんの机の引き出しに返事を入れて帰るなど、ラブレターのやり取りをしたそうです。
高校時代は妻と博多までデートしたこもあった
ちなみに、そんなムツゴロウさんと純子さんは、列車で博多まで3時間かけて2人でデートをしたこともあったそうですが、
(ムツゴロウさんが博多の丸善でフォークナーやヘミングウェイなどの洋書を買うのを、純子さんが付き合ってくれたそうです)
やはり、世間の目があったことから、往復の電車では隣同士には座れず、離れ離れに座って他人のフリをしていたそうです。
博多で旅館に泊まるも一線を超えることはなかった
ただ、博多では、知り合いの目がなかったことから、2人で思いきり遊んだそうで、一緒にいたいがために、帰りたくなくなり、旅館に泊まったそうで、
(1泊300円の旅館だったため、大丈夫だと思ったそうです)
一線を超えることはなかったそうですが、部屋の真ん中に布団が2つ並べて敷いてあるのを見て、とても色っぽく感じたそうです。
(結婚するまでは、男女の関係にはならないでおこうと思っていたそうですが、お風呂には一緒に入ったそうです)
大学時代には妻が結核にかかりサナトリウムに入院していた
そして、高校卒業後、ムツゴロウさんは東京大学に進学するために上京し、純子さんはそのまま地元に残って就職したため、時々、ムツゴロウさんが帰省し会っていたそうですが、
ムツゴロウさんが大学2年生の終わり頃(20歳)には、純子さんが結核にかかってしまったそうです。
(当時、結核は不治の病と言われていたそうです)
それでも、ムツゴロウさんは、絶対に純子さんは治ると信じて待ち続けたそうで、その間、一度も会えなかったそうですが、
僕が愛を送るよ。それが薬だよ。元気になってね
と、手紙で愛を語り続けたそうで、
その思いが通じたのか、純子さんは、2年半ほどでサナトリウム(療養所)を退院できたのだそうです。
(純子さんの話は少し違っており、ムツゴロウさんが東京から何度も面会に駆けつけて、勇気づけてくれたと語っています)