高校生の時には、経済状況が困窮する家計を助けるために、家庭教師などのアルバイトをしていたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、高校卒業後の進路として、作家を目指し、憧れの作家の出身大学だった早稲田大学への進学を希望するも、お母さんの大反対に遭ったといいます。
「田原総一朗が高校の時は家計を支えるためアルバイトをしていた!」からの続き
作家になるために早稲田大学を目指していた
田原さんは、高校2年生ぐらいの時に、大学受験に向けて準備を始めたそうですが、作家志望だったため、最初から早稲田大学を目指していたそうです。
というのも、石川達三や丹羽文雄など、早稲田大学出身の作家が好きで、文学をやるなら、早稲田大学の文学部で国文学科だと決めていたからだそうで、
(そのため、滑り止めの大学は受けるつもりはなかったそうです)
高校での模擬テストでも、(早稲田大学文学部志望のため)試験は、英語、国語、社会の3科目を受けたところ、高校で5~6番目と、成績は優秀だったそうです。
早稲田大学へ進学することを母親に反対されていた
ただ、お母さんは、地元の滋賀大学か京都大学に入ることを希望していたことから、田原さんは、早稲田大学文学部に進学して作家を目指すとはとても言えず、高校3年生の1学期くらいまでは、適当にごまかしていたそうです。
そして、やがては、早稲田大学は夜間部(第二文学部)に通い、昼間は会社勤めをしようと考えたそうで、お母さんの従兄弟にあたる秦正宣さんという人が交通公社の管理職をやっていたことを思い出し、秦さんに、「入社試験を受けたい」と手紙を出したそうですが・・・
(交通公社の入社試験は高校3年生の秋に行われるため)
秦さんからは、「履歴書を送れ」という返事が来たそうですが、この一連のやりとりから、お母さんに、早稲田大学に進学を希望していることがバレ、
東京に行くなんてとんでもない。滋賀大か京大にしなさい
と、言われてしまったのだそうです。
母親を説得できないまま交通公社の試験を受け合格
それでも、田原さんは、早稲田以外は考えていなかったため、
でも、数学も理科も取ってないし、勉強してないんだ
と、開き直ったそうですが、お母さんとは口論になり、
次に、
学費は自分で払う。東京に行っても仕送りをする。そのために交通公社に勤め、夜間に(早稲田に)行く
という線で、お母さんを説得にかかったそうですが、最後までお母さんを納得させることはできなかったのだそうです。
ちなみに、お母さんが、滋賀大学や京都大学にこだわっていたのは、
- 両方とも国立のため授業料が安い
- 家から通えるためお金がかからない
- 大学の勉強の合間にアルバイトをして家にお金を入れて欲しい
- 経済学部に進み、どこかの大企業に入って欲しい
などという理由からだったそうですが、
(一方、お父さんはというと、主体性がなく、お母さんの言うがままだったそうです)
結局、田原さんは、お母さんの了承を得られないまま、高校3年生の秋に上京し、交通公社の本社で試験を受けると、見事合格したのだそうです。
(おそらく、秦さんが力を尽くしてくれたのだろうとのこと)
「田原総一朗は交通公社の研修で劣等感を味わっていた!」に続く