「岩波映画製作所」では、撮影助手を降ろされ、ブラブラしている中、テレビ番組「たのしい科学」のカメラマン・藤瀬季彦さんに助け舟を出してもらい、藤瀬さんの撮影助手になると、来る日も来る日も、水に入れたシャーレにスポイトでミルクを落としていたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、やがて、「たのしい科学」では、ポリオ(小児麻痺)をテーマにシナリオを書くほか、演出も担当するようになったといいます。
「田原総一朗は「岩波映画製作所」で撮影助手を降ろされていた!」からの続き
「たのしい科学」でポリオ(小児麻痺)をテーマにシナリオを書くことに
「たのしい科学」は、毎週放送していたため、番組専従のスタッフを揃えていただけではなく、シナリオも募集していたそうですが、そんな中、藤瀬さんから、「シナリオを書け」と言われたそうで、もともと作家志望だった田原さんは、シナリオに応募しようと奮い立ったそうです。
(ちょうどその頃、ポリオ(小児麻痺)が流行していたため、ポリオをテーマにシナリオを書くことにしたそうです)
取材には1時間以上かけ50分は無駄話をし残りの10分で勝負をしていた
そこで、自分なりに調べてみたところ、東京大学医科学研究所の研究者がポリオ(小児麻痺)の研究をしていることがわかったそうで、アポを取って会いに行くと、その研究者は、電子顕微鏡で見たポリオウイルスを撮影したフィルムがあると教えてくれたそうです。
(ウィルスは10~30ナノメートル(ナノは10のマイナス9乗)ほどで、光学顕微鏡では見えず、電子顕微鏡でないと見ることができなかったそうで、生きて動いているポリオウィルスの映像など誰も見たことがないため、田原さんは「これは面白い」と思ったそうです)
ちなみに、田原さんは、いきなり取材しても本音を打ち明けるはずがないと、少なくとも取材には1時間以上かけ、しかもそのうち50分は無駄話をし、残りの10分で勝負をかけて、本当のことを聞き出すのが記者の仕事だと思っていたそうで、
(誰に教えられるわけでもなく、最初からそのように考え、実践していたそうです)
東大の研究者に会いに行った時も、なぜ、ポリオ(小児麻痺)を取り上げるのか、田原さん自身の人生観や価値観を交えて率直に話し、そのことで、その研究者が、「この男は面白い人間だなあ」と思ってくれたそうで、フィルムを放送に使わせてもらえないかとお願いすると、その場で、すぐに了承してくれたのだそうです。
ポリオ(小児麻痺)を題材にした科学映画を「ヌーヴェルヴァーグ風」に撮影することを思いつく
こうして、一通り、ルーティーンの仕事が終わり、夜から朝にかけて地下の倉庫で1週間かけて番組のシナリオを書き上げ、プロデューサーの渡貫敏男さんに見せると、「面白い、やろう」と言ってくれたそうで、
構成台本とはいえ、自分が書いた原稿が活字になったのは初めてのことだったため、とても嬉しかったそうです。
また、田原さんは、この時、撮影助手に過ぎなかったため、別に演出家がついていたそうですが、その演出家がたまたま病気で現場に来られなくなり、演出家の役もやらせてもらえるようになったそうで、
この千載一遇のチャンスに、
ヌーヴェルヴァーグで行こう
と、思い立ったのだそうです。
(※「ヌーヴェルヴァーグ」とは、1950年代後半からフランスで始まった映画運動で、「新しい波」という意味なのですが、「ヌーヴェルヴァーグ」の作品は、「ワンシーン・ワンカット」と言って、カメラを手持ちで左右に振ったり、アップにしたり、ロングに引いたりして回し続ける撮影スタイルを取っていて、カメラを万年筆のように持って撮ることから、「カメラ万年筆論」とも呼ばれたそうです。ちなみに、フランス人監督では、アラン・レネ、ジャン リュック・ゴダールなどが有名で、日本では、大島渚監督の作品「青春残酷物語」が、「ヌーヴェルヴァーグ」と言われたそうです)
「田原総一朗は科学映画をヌーヴェルヴァーグ風に編集し好評を博していた!」に続く