ドキュメンタリー作家、ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスターと様々な分野で才能を発揮してきた、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな田原さんのプライベートをご紹介します。
「田原総一朗の著書とドキュメンタリー作品を画像で!」からの続き
最初の妻・末子との馴れ初めは?
田原さんは、1960年11月3日、3歳年上の従姉妹、植村末子さんと結婚しています。
田原さんは、1953年、作家を志して上京した際、台東区上野の神吉町にあった、伯母さん(お父さんの一番上の姉)の家に下宿させてもらっていたのですが、
その伯母さんと伯父さんの末娘が末子さんだったそうで、素直で性格が明るく、年上でも決して威張ったりせず、気軽に話せる末子さんに好感を持ったのがきっかけだったそうです。
ちなみに、田原さんは、この頃、小説を書いていたそうですが、日本橋堀留の呉服屋に勤めていた末子さんが、呉服を包む紙を店からもらって来てくれたそうで、その紙を原稿用紙の代わりにしていたそうです。
銭湯に行く道すがらが話をする唯一の機会だった
そんな田原さんと未子さんは、一つ屋根の下で暮らすうちに、お互い、好きになっていったそうですが、家族が多かったせいで(田原さんを入れて合計9人)、家にいる時は二人で話しをすることもままならず、
(伯母さんの家には風呂がなかったため)近くの銭湯に行く時に、誘い合って一緒に出かけ、銭湯までの道すがら話しをしたのだそうです。
(キスをすることもなく、手をつなぐだけで精一杯だったそうです)
妻・未子は当初は同情から交際していた
ちなみに、田原さんは、いい加減な自分を温かく包み込み、細かい気配りをしてくれる末子さんが好きで、また、言いたいことをストレートに言うところにも信頼を覚えていたそうですが、
田原さんいわく、末子さんは、どちらかと言うと、田原さんを、「昼間は勤め、夜は学校に行くなんて、かわいそうに」と思い、恋愛感情というよりは、同情しているフシがあったそうです。
(田原さんは、高校卒業後、早稲田大学の第2文学部に進学し、昼間働き、夜に学校に通っていました)
ただ、田原さんが早稲田大学の第1文学部に入り直してからは、末子さんの気持ちが、恋愛感情に変わり、田原さんを結婚対象として認めるようになっていったのを感じたそうです。
「田原総一朗は最初の妻とは家族の猛反対のなか結婚していた!」に続く