手持ち資金ゼロ円で赤坂一等地35坪の土地を1億2000万円で購入することに成功した、千昌夫(せん まさお)さんは、その後、ビルの建設に乗り出し、土地を担保に銀行から融資を受け、新しい事業を始める、というスタイルで、資産を増やしていったそうです。

「千昌夫が若い頃は資金ゼロで赤坂の一等地を購入していた!」からの続き

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ビルの建設に乗り出す

22歳の時に2000万円で買った仙台市郊外の約5万坪の土地を、わずか7年で、1億2000万円の不動産に変身させることに成功した千さんは、

今度は、ビルの建設に乗り出そうと、知人の「大京観光」(現・大京。ライオンズマンション建設で有名)の横山修二社長(当時)に相談を持ちかけると、横山社長は、二つ返事で「東急建設」を紹介してくれたそうです。

手持ち資金ゼロ円で自社ビルを建設

そして、千さんは、「東急建設」との話し合いの場で、

ビルのテナントが支払う保証金で、ビルの建設費用を支払いたい

と、申し出たそうですが、

(やはり、手持ちのビル建設資金はなかったそうです)

普通ならあっさり断って当然の、現金はおろか、担保もない初取引の人間の、無謀な申し出にもかかわらず、「東急建設」は、千さんの有名人というネームバリューと、仲介者の「大京観光」という後ろ盾により、無下に断ることができず、結果、承諾してくれたそうで、

1年後の1977年10月には、地下1階、地上4階建てのテナント用自社ビル「ラ・テ・ラッセ・アベビル」が完成したのだそうです。

(千さんは、建設工事中、仕事の合間をぬって幾度となく現場を訪ねては、あれこれ指示していたそうですが、初めて、土地付きのビルのオーナーになれたことが、うれしくてたまらなかったそうです)

最盛期の総資産は2000~3000億円だった

その後も、千さんは、土地を担保に銀行から融資を受け、新しい事業を始める、というスタイルで、1980年代には、地方公演をメインにした歌手活動のかたわら、凄まじい勢いで不動産を増やしていったそうで、

(1日に70億円近くのお金を動かしたこともあったそうです)

最盛期の1990年頃には資産総額2000億~3000億円にも達し、「歌う不動産王」と呼ばれるようになったのでした。

(千さんの所有する土地・賃貸マンションの名義は、ほとんどが、千さんが経営する「㈱アベインターナショナルベンチャーズコーポレーション」名義で、正確には、千さんの個人資産ではないそうです)

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最盛期に所有していた資産

ちなみに、千さんが最盛期に所有していた資産には、

  • 地方の不動産・・・宮城県宮城郡宮城町(土地)、伊豆大島町字北の山(土地)、山中湖(別荘)、熱海(別荘)、飛行場付きの別荘(北海道・十勝平野)、北海道の牧場
  • 海外の別荘・・・スペイン、サンフランシスコ、ハワイ(マンション)
  • 海外のホテル・・・香港「ラマダ・イン・ホテル」、オーストラリアのシドニー「リッツ・カールトンホテル」(ほか、アメリカ、イギリスのロンドンなどに計10軒所有)
  • 海外の不動産・・・香港(オフィスビル)、フランス、イギリス、グアム、サイパン、トラック、パラオなどの南洋諸島(土地)
  • 事業・・・大衆居酒屋「せんや」、レコード会社、貸しビル、貸しスタジオ、賃貸マンション等
  • その他・・・高級外車数台、飛行機

などがあったそうです。

「千昌夫は昔「北国の春」が300万枚売上の大ヒットとなっていた!」に続く

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