「チューリップ」時代には、高校時代からの盟友だった吉田彰さんに不満を抱かれ、脱退された、財津和夫(ざいつ かずお)さんですが、吉田さんによると、新メンバーとなった宮城伸一郎さんの話題作りのため、無理にゲームに参加させられたことがあったといいます。

「財津和夫の考えを確信し吉田彰はチューリップを脱退していた!」からの続き

Sponsored Link

吉田彰はすぐには「チューリップ」を辞めさせてもらえなかった

「チューリップ」脱退の意思を伝えた吉田彰さんは、すぐにでも辞めたかったそうですが、会社からは、新しいメンバーが決まるまで、6ヶ月間待ってほしいと言われたそうで、(すでに決まっているスケジュールもあったため)この申し出を受け入れ、1978年5月から1978年10月まで割り切って仕事をしたそうです。

しかし、1978年10月になっても新メンバーが決まらなかったことから、契約は、1978年11月から1979年4月までの6ヶ月間に延長され、

さらには、大きなイベントなどを理由に、1979年4月から9月まで延長されたのだそうです。

(その間、辞めることは公言しないでほしいと、事務所から言われていたそうです)

財津和夫は吉田彰を無理にカードゲームに参加させていた?

そして、1979年9月、ようやく、新メンバーの宮城伸一郎さんが加入したそうですが、高崎方面の単発コンサートが行われた時のこと、不思議なことに、近場の日帰りのコンサートだったにもかかわらず、カメラマンの田口謙二さんの姿があり、さらには、普段は「カードゲーム」をしない宮城さんが「カードゲーム」をしていたそうです。

そんな中、吉田さんは、財津さんから、「カードゲーム」に誘われたそうですが、する必要がないからと断ったところ、

財津さんは、

なぜやらないんだ。

と、怒り出し、

それでも、吉田さんは、何回か断ったそうですが、

財津さんがますます過激に怒り始めたことから、仕方なく、「カードゲーム」に参加することにしたそうです。

(吉田さんは、以前はよく、帰りの列車の中でメンバーやスタッフと「カードゲーム」をやっていたそうですが、「チューリップ」を辞めると決めた時から、無駄な付き合いや無駄遣いを避けようと、「カードゲーム」はしないようにしていたそうです)

Sponsored Link

吉田彰は新メンバー宮城伸一郎の話題作りに利用され激怒していた

すると、すかさず、カメラマンの田口さんがシャッターを切り、それから数週間後には、自社出版物の月刊誌に、

新加入の宮城伸一郎、メンバーと打ち解ける

という記事とともに、カードゲームに興じる吉田さんたちの写真が掲載されたそうで、

吉田さんは、自身が宮城さんの話題作りに利用されたことに、

1979年の宮城伸一郎加入から2、3ヶ月あとに出されたこの記事が掲載された雑誌をお持ちの方は是非貸していただきたい。

と、怒りをあらわにしています。

(吉田さんによると、この記事が掲載された雑誌は「ヤングギター」または「ガッツ」だそうですが、どちらかは覚えてないそうです)

「財津和夫は吉田彰がチューリップを辞めた理由が分からないと言っていた!」に続く

Sponsored Link