早稲田実業高校野球部では、入部10日でレギュラーとなり、その1ヶ月後には、春季都大会決勝という大事な試合に登板して相手打線を完封するなど、1年生にして、早稲田実業高校の甲子園出場に大きく貢献した、王貞治(おう さだはる)さんですが、早稲田実業高校野球部では、久保田高行総監督の考えにより、「ピック・オフプレー」のような先進的な練習をしていたといいます。

「王貞治は高1の時に日大三高の強力打線を完封していた!」からの続き

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「競走」が唯一苦手な練習だった

後に、高校卒業前、初めて巨人軍のキャンプに参加した際、プロの練習はこんなものかと拍子抜けするほど、早稲田実業高校の練習は厳しかったそうですが、それでも、王さんにとっては、大して苦にならなかったそうですが、

西武線の武蔵関駅から早稲田実業高校の練習用のグランドまで1キロ弱の「競走」だけは、唯一きつかったそうで、

1年生は、武蔵関駅に着くと、早実野球部員の憩いの場だった駅前のパン屋「ミネルバ」にカバンを放り投げ、ダッシュでグランドに向かわなければならなかったそうで、足は急に速くなるわけでもなく、これを毎日しなければならないことだけは、憂鬱(ゆううつ)でたまらなかったそうです。

(また、電車で一緒になった上級生に遅れてグランドに出たら「アウト」というルールがあったそうで、もし遅れれば、厳しい制裁を受けたそうです)

早稲田実業高校では練習中も水が準備されいつ飲んでもよかった

ただ、このような訳の分からないしきたりはあったものの、早稲田実業高校の練習方法は、久保田高行総監督の考えにより、意外にも進歩的だったそうで、

久保田総監督は、かつて、朝日新聞で野球記者をしていたこともあり(野球規則委員も)、アメリカ大リーグにも詳しかったことから、縦社会ながら合理主義も取り入れており、

例えば、当時、練習中には水を飲んではいけないのが一般的だった中、早稲田実業高校では水を準備されていて、いつ飲んでも良かったそうです。

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早稲田実業高校では久保田高行総監督により先進的な「ピック・オフプレー」が取り入れられていた

また、早稲田実業高校では、当時、プロでもやっていない「ピック・オフプレー」という作戦を取り入れていたといいます。

ちなみに、この「ピック・オフプレー」は、塁上の走者がリードしているとき、投手や捕手・野手が示し合わせて、アウトを狙うプレーで、攻撃では、「第2スクイズ」(現・セーフティースクイズ)と呼ばれていた作戦なのですが、

普通のスクイズでは、三塁ランナーはピッチャーがモーションを起こした直後にスタートし、バッターはとんでもないボールでも、飛びついてバントをするところ、

この「第2スクイズ」は、バッターはストライクだけをバントし、三塁ランナーはボールが転がったのを見てから、本塁に突っ込むというのもので、ギャンブル性を小さくして、確実に1点をもぎとる作戦ながら、バントをするバッターの球の見極めと、三塁ランナーの瞬時の判断が求められる、極めて高度な技術が必要なプレーなのだそうです。

(この「第2スクイズ」を巨人が取り入れたのは、V9時代6年目の1970年頃だったそうで、王さんは、その時、「ああ、その作戦なら早実でやっていた」と思ったそうです)

「王貞治は高1で甲子園先発も惨敗し3年生に不満を抱かれていた!」に続く

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