早稲田実業高校では、早くも1年生にして、夏の甲子園東京都予選から5番レギュラーに抜擢されると、見事、夏の甲子園出場を決めた、王貞治(おう さだはる)ですが、夏の甲子園2回戦では、初めて先発すると、立ち上がりに3四球から失点して、1対8で惨敗してしまい、最後の試合となった3年生の間では、1年生の王さんが先発して敗れたことが、ちょっとしたしこりになっていたといいます。

「王貞治は早実では久保田高行総監督のもと先進的な練習をしていた!」からの続き

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夏の甲子園2回戦では先発に起用されるも惨敗していた

夏の甲子園出場を決めた早稲田実業高校は、1回戦の和歌山県立新宮高等学校戦では、3年生のエース・大井孝夫さんが先発すると(王さんは5番・左翼として出場)、2回に先制されるも、そのまま迎えた9回には連続スクイズを決めて見事勝利したそうですが、

続く、2回戦の県立岐阜商業高等学校戦では、1年生の王さんが初めて先発すると、立ち上がりに3四球から失点してしまい、(8回には右中間に三塁打を放って1点を返したものの)1対8で惨敗してしまったそうです。

(この時、球審を務めていた山本英一郎さん(後に日本野球連盟会長)は、ストライクが入らずボール球を連発する王さんの投球に、「なんてコントロールが悪いんだ」とブツブツ言っていたそうです)

3年生の間では1年生の王貞治が先発して惨敗したことがしこりとなっていた

すると、(王さんが後に当時・主将だった醍醐猛夫さんから聞いた話によると)最後の試合となった3年生の間では、1年生の王さんが先発して敗れたことが、ちょっとしたしこりになっていたといいます。

(3年生の醍醐猛夫さん(後に毎日オリオンズ(現・ロッテ))と徳武定之さん(後に国鉄スワローズ(現・ヤクルト))が3番と4番を務めていたそうです)

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早実の主将・醍醐猛夫は久保田・宮井両監督から岐阜商戦で王貞治が先発することを聞き不満に思っていた

醍醐さんによると、県立岐阜商業高等学校戦の前夜、主将だった醍醐さんは、久保田総監督と宮井監督に呼ばれ、

明日は王を先発させる

と、告げられたそうで、

醍醐さんは、なぜ、3年生のエース・大井さんではないのかと不満に思ったそうですが、

久保田総監督はそれを見透かしたかのように、

私たちは次の春から先のことも考えているんだ

と、言ったそうで、

(久保田総監督は、鑑識眼の確かさが優れており、久保田総監督が見込んだ選手は必ずレギュラーになって活躍し、そうでない選手はやはりダメだったそうで、久保田総監督が道の向こうからやってくる姿が見えただけで、早実のグランドにはピリッと緊張感が走ったそうです)

高校野球では指導者の言うことは絶対だったため、醍醐さんは引き下がるしかなかったのだそうです。

(醍醐さんは県立岐阜商戦前夜のことを卒業後も3年生の仲間に言えず、辛い思いをしたそうです)

「王貞治は高1の秋にエースとなりノーワインドアップ投法で活躍していた!」に続く

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