投打共に才能を見込まれ、巨人に入団するも、入団して1年目のキャンプで、早くも投手失格を言い渡されると、期待されていた打撃の方も、期待通りの結果を出せずにいた、王貞治(おう さだはる)さんは、3年目のオフシーズン、中学2年生の時に右打ちから左打ちに変えるよう進言してくれた荒川博さんが打撃コーチとして就任し、いきなりバッティングをこき下ろされたといいます。

「王貞治は巨人入団3年目までは凡庸な成績だった!」からの続き

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荒川博は打撃コーチに就任してすぐ王貞治の打撃をダメ出ししていた

王さんがプロ入り3年目となる1961年のオフシーズンには、中学2年生の時、右打ち(右バッター)から左打ち(左バッター)に変えるように進言してくれた荒川博さんが、巨人の打撃コーチに就任したそうで、荒川さんとは7年ぶりの再会となったそうですが、

秋季キャンプでは、荒川さんは、トスバッティングで空振りした王さんを見て、

ひでえもんだ

なんだ、こんなスイングではドッジボールでしか当たらんぞ

遊びは上手くなったかもしれんが、野球は下手になったな

と、言い放ったそうで、

王さんは、内心カッとなったそうですが、本当のことだったため、言い返すことができなかったそうです。

荒川博は王貞治がちゃんと練習すればすごい成績が残せると見込んでいた

また、荒川さんには、

こんなに下手で、よく2割7分も打ったな

とも、言われたそうですが、

後に荒川さんに聞いたところ、これは否定的な意味で言っただけではなく、何の技術もないまま打ったにしては、2割7分という数字は上出来で、ちゃんと練習すればすごい成績が残せるぞ、という意味が込められていたそうです。

(とはいえ、当時の王さんにとっては、どちらしにしても同じことで、いい気分はしなかったそうですが)

荒川博についていこうと決意していた

そして、荒川さんには、

あと2年ダメだったらトレードされるかクビになる

3年間オレのいうことを聞け。そしたらどれだけ飲もうが遊ぼうが、10年は飯が食えるようにしてやる

と、言われたそうで、

王さんは、信じるも信じないも、ほかにすがる人がいなかったため、荒川さんについていこうと決めたのだそうです。

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荒川博の巨人打撃コーチ就任は広岡達朗が川上監督に進言&推薦したのがきっかけだった

ちなみに、荒川さんは、この年(1961年)、毎日大映オリオンズ(通称・大毎オリオンズ=現・ロッテ)で、現役生活を終えたばかりだったそうですが、現役中から、チームメイトで高校の後輩でもあった榎本喜八さんを指導して天才左バッターと言われるまでに育てた実績があり、早稲田大学で同窓の広岡達朗さんが、荒川さんをコーチとして使うよう川上監督に進言し推薦したそうで、

川上監督は、荒川さんとはさしたる面識もなかったそうですが、「あの榎本を教えた人物なら」ということで、広岡さんの進言に従ったのだそうです。

(川上監督は、王さんを、打率3割、本塁打25本は十分に打てる素質があると見込んでいたそうですが、それに反して王さんの成績が思うように伸びないのは、王さんが練習をちゃんとしていない為で、成績が伸びないから自信が持てず、さらに練習に身が入らない、という悪循環が理由だと考えており、荒川さんに最も強く期待したのは、王さんの(練習に身を入れる)意識改革だったそうです)

「王貞治は合気道の「氣」を取り入れた素振練習をしていた!」に続く

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