1959年、巨人(読売ジャイアンツ)に入団すると、「一本足打法」で、13年連続を含む15回の本塁打王、8年連続を含む13回の打点王、3年連続を含む5回の首位打者、2年連続を含む2回の3冠王に輝くほか、様々な記録を樹立した、王貞治(おう さだはる)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょう。今回は、そんな王さんの奥さんとの馴れ初めなどをご紹介します。
「王貞治の監督時代の成績は?ソフトバンク監督退任理由は?」からの続き
最初の妻・恭子との馴れ初めは?
王さんは、1966年12月1日、小八重恭子さんと結婚しているのですが、出会いは偶然だったといいます。
それは、プロ1年目のこと、王さんは、川崎市新丸子にあった多摩川寮に入り、そこから、後楽園球場や対岸の河川敷にある練習場に通っていたそうですが、
ある日の帰り、急に雨が降ってきたことから、寮の近くで雨宿りをしようとしたところ、そこに女子高生の2人組がいたそうで、1人の女の子が野球好きだったことから話がはずみ、このことがきっかけで、2人は合宿所や練習場に遊びに来るようになったそうです。
すると、もう1人の女の子は、おとなしく、野球の話にも興味がなさそうだったそうですが、いつの間にか、2人だけで会うようになったそうで、その女の子が恭子さんだったそうです。
(恭子さんは、新聞社に紙を卸す会社を経営する、お堅い家庭のお嬢さんだったそうです)
最初の妻・恭子とは交際していた訳ではなかった
ただ、その時、恭子さんはまだ高校生だったほか、王さんもプロで身を立てる目処がついていない時期だったため、交際していたわけではなかったそうです。
(当時のプロ野球界は堅気の世界とは程遠く、「結婚する気がないなら一般の人と付き合うな」と言われていたそうです)
また、プロ2年目となり、合宿所を出てからは、世間がさらに広くなったことや、打てない憂さを晴らすため、飲みに行くようになり、ますます恭子さんとの接点はなくなったそうで、
時々、思い出したように、お寿司を食べに誘い、渋谷あたりに連れて行ってあげることはあったそうですが、それでも、(恭子さんの家の門限の)夜10時までに恭子さんを家に送り届けて終わりだったそうです。
出会って7年目で結婚
しかし、1964年に長嶋茂雄さんが結婚すると、自分もそろそろ身を固めてもいいかなと思うようになり、プロとして何とかやっていけそうな手応えを得たタイミングだったこともあり、そばにいてくれた恭子さんとの結婚を意識するようになったそうで、
出会ってから7年目の1966年、シーズン終了後の12月1日、明治神宮で結婚式を挙げ、ホテル・ニューオータニで披露宴を執り行ったのだそうです。
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結婚披露宴での王さんと恭子さん。