学費を優遇してくれ、野球部の仲間も4人ほど一緒に入れてくれるという好条件に加え、エースとして活躍する自分の姿もイメージすることができたことから、東海大学に進学しようと心に決めていたという、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、そんな中、阪神タイガースからドラフト1位で指名されます。

「江夏豊は高卒後プロ入りせず東海大学に進学するつもりだった!」からの続き

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阪神タイガースからドラフト1位で指名される

高校卒業後は、東海大学に進学することに決めていたという江夏さんですが、1966年9月5日、第1次ドラフト会議において、阪神タイガース、読売ジャイアンツ、東映フライヤーズ、阪急ブレーブスから1位指名を受け(4球団が競合)、最終的には、抽選の結果、阪神が指名権を獲得したそうで、

三池工業高校の上田卓三さん(後に南海ホークス)やPL学園の加藤秀司さん(後に近鉄に入団)ら、錚々(そうそう)たるメンバーに混じっての1位指名、しかも、関西で絶大なる人気を誇る阪神タイガースからの1位指名に、大学一本だった気持ちが揺れ始めたそうです。

(マスコミが一斉に動き出して、江夏さんの身辺もにわかに騒がしくなったそうで、野球しか知らない江夏さんは、降って湧いたような騒ぎに面食らい、思っていたのとは別の方向に流されていく自分を感じたそうです)

スカウトの河西俊雄が自宅に来るも東海大学進学の希望は変わらなかったが・・・

それでも、江夏さんは、阪神のスカウト・河西俊雄さんが自宅に来て、お母さん、お兄さんと一緒に話を聞くも、

「プロ野球のスカウトってこういう人なのか」と、物珍しく思っただけで、阪神に入る気はなく、「大学に行きます」と返事をしたそうですが・・・

(河西さんは、阪神では藤田平さんや掛布雅之さん、近鉄に異動後は野茂英雄さんらを担当した人だったそうです)

阪神のベテランスカウト・佐川直行からは入団しなくていいと言われていた

阪神は、河西さんでは話が進まないと思ったのか、今度は、佐川直行さんというベテランのスカウトを立ててきたそうで、佐川さんに「ちょっと会いたい」と、大阪梅田の喫茶店に呼ばれると、

開口一番、

俺は別におまえなんかほしいとは思わん。社交辞令で来ているだけなんだ

1位指名した手前、一応筋を通しておくが、別に入団しなくてもかまわない

と、言われたそうで、

この言葉に、血気盛んな18歳の江夏さんは、「この野郎」と思い、

入ったるわい

と、啖呵(たんか)を切って、席を立ってしまったのだそうです。

(内心、「しまったなぁ」と思ったそうですが、後の祭りだったそうです)

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阪神のベテランスカウト・佐川直行にまんまとやられていた

ちなみに、江夏さんは、スカウトといえば、監督、コーチの下の、ただの球団職員という意識しかなく、

こんなおっさんに、クソミソに言われてたまるか

と思い、阪神に入団することを決めたそうですが、

阪神に入って2年目くらいの時、佐川さんから、

大学進学が決まっているならどうしようもない。でも一か八か怒らせてみようと思ったんだ。おまえの短気な性格は知っとったから

と、種明かしされたそうで、

江夏さんは、ベテランスカウトマンの手腕にまんまとやられたのでした。

(後に、佐川さんが、甲子園のスターだった王貞治さんの獲得を巨人と争い、契約寸前までこぎつけたやり手だったことや、当時、阪神には、「三狸」と呼ばれる曲者(くせもの)がおり、その一人が佐川さんだったことを知ったそうです(後の二人は、藤本定義監督と戸沢一隆代表))


燃えよ左腕: 江夏豊という人生

「江夏豊は前年のドラフト次第では阪神タイガース入団はなかった!」に続く


ドラフトで阪神タイガースから1位に指名された江夏さん(左)

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