デビューから5試合目の広島戦で10奪三振&完投で初勝利を飾ると、それからは面白いように勝ち星が上がって、あれよあれよと5連勝した、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、その後、巨人戦でもストレート一本で勝負し、凡打の山を築いたそうですが、長嶋茂雄さんには、2ストライク1ボールと追い込んでからの内角高めのストレートを、芯で捉えられたといいます。

「江夏豊は藤本定義監督から打者転向を勧められていた!」からの続き

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巨人戦初登板は緊急降板した先発の村山実の代わりも直球一本で凡打の山を築いていた

江夏さんは、1968年5月31日の巨人戦、2対0とリードした4回から、持病の血行障害が悪化して投げられなくなった先発の村山実さんに代わり、マウンドに上がるよう命じられると、

(ブルペンでは誰も準備していなかったそうです)

突然の登板で何も考える暇がなく、また、19歳になったばかりで怖いもの知らずだったこともあり、なりふり構わず、どんどん投げ込んだそうですが、王貞治さんを2三振に抑えるなど、凡打の山を築いたそうです。

(相変わらず、カーブは曲がらず、ストレート一本だったそうです)

長嶋茂雄には2ストライク1ボールから内角高めのストレートを芯で捉えられていた

すると、その後、和田さんの本塁打で1点を追加し、3対0となったそうですが、7回、2番の土井正三さんに左翼線を破られると、次のバッターは長嶋茂雄さんだったそうで、

つい、この間まで、テレビで見ていた長嶋さんのオーラを感じながらも、打たせまいと、2ストライク1ボールと追い込むと、最後は、内角高めのストレートで空振りを狙い、その通り投げられたそうですが、

普通なら、当たってもせいぜいどん詰まりなところ、長嶋さんは、そのボールを芯で捉え、ショートへの内野安打になったそうで、それに守備のミスが絡み、土井さんがホームインしたのだそうです。

個人的に長嶋茂雄のファンになっていた

そんな中、長嶋さんは、一塁を蹴って二塁へ華麗に滑り込み、すくっと二塁ベースに立ったそうですが、こちらの方には見向きもせず、何事もなかったように、パンパンとユニホームの土を払ったそうで、

江夏さんは、この時のことを、著書「燃えよ左腕 江夏豊という人生」で、

(長嶋さんは)こちらの方を見ようともせずに、パンパンとユニホームの土を払っている。彗星のように現れた新人「江夏」の名はちまたでも売れ始めていた。試合途中から出てきた話題のルーキーに完全に抑えられていた中でのヒットだ。

普通は「どうだ、若造」と言わんばかりにこちらを見返すとか、なんらかのジェスチャーがあるものだろう。ところがミスターは全く無視だ。江夏を意識しての無視なのか、それともハナから意識にないのか。全く読めなかった。

「ようし、こうなったら、意地でも意識するようにしてやる」という感情もわいたが、正直なところ「格好いいなあ」と思った。噂の新人を打っても、何事もなかったかのように振る舞っている。さすがは天下の長嶋だ。

個人的に、すっかり長嶋ファンになってしまった。「ON」として人気を博した長嶋さん、王さんだが、自分が入団したころは両雄並び立つという感じではなくて、まだまだミスターの存在が大きかった。

と、綴っています。

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巨人戦初登板初勝利

さておき、長嶋さんに内野安打を打たれて1失点し、3対1とされた後は、さらに守備のミスがあり、無死二塁とピンチが続くも、この回は、5番の高倉照幸さんらを抑えて切り抜けます。

ただ、8回、先頭の黒江透修さんを四球で出すと、1死後、柴田勲さんにレフトスタンドに同点2ランホームランを喫してしまいます。

それでも、9回表、山内一弘さんが、巨人の抑えの切り札・宮田征典さんからレフトスタンドにホームランを放ち、その裏、江夏さんが巨人の攻撃をきっちり3者凡退に抑え、江夏さんは、6イニング4安打3失点(自責点2)で、巨人戦初登板初勝利を果たしたのでした。

(ちなみに、藤本定義監督は、江夏さんの巨人戦登板は、十分に自信をつけさせてからと、オールスターまで見合わせる予定だったそうですが、巨人V9の3年目、「打倒巨人」を目指す中、阪神は、村山さんの緊急降板により、19歳の江夏さんの起用を待てないほど、切羽詰まった状況にあったのだそうです)

「江夏豊は林義一にキャッチボールの重要性を教えられていた!」に続く


燃えよ左腕 江夏豊という人生

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