高卒で阪神タイガースに入団すると、1年目から、奪三振王(225奪三振)を獲得するほか、12勝13敗、防御率2.74という成績を残した、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、プロ2年目となる1968年には、林義一投手コーチの指導により、さらに奪三振を量産し、ついに、シーズン奪三振の日本記録である、稲尾和久さんの353奪三振を更新する、354個目の三振を王貞治さんから取ったはずだったそうですが・・・
「江夏豊は林義一にキャッチボールの重要性を教えられていた!」からの続き
プロ入り2年目のシーズンも次々と奪三振記録を塗り替えていた
プロ入り1年目から225奪三振で奪三振王に輝いた江夏さんですが、プロ入り2年目の1968年は、新たに投手コーチとなった林義一さんの指導でさらにパワーアップしたそうで、
シーズン初登板の開幕3戦目のサンケイ戦(神宮球場)では打たれたものの、その後は、おもしろいように三振が取れたそうで、
2桁奪三振20試合、1イニング3者三振20回、23イニング連続奪三振ほか、奪三振部門のありとあらゆる記録を塗り替えたそうです。
新記録となる354個目の奪三振は王貞治から取りたいと考えていた
そして、シーズンも終盤に差し掛かる9月17日、巨人戦(甲子園)が始まる前の時点で、日本記録である、稲尾和久さんのシーズン353奪三振まであと8個というところまで迫っていたそうで、
この試合でも、1回には高田さんと王貞治さんから、2回には長嶋茂雄さんと末次利光さんから三振と、立ち上がりから三振を取りまくっていたそうで、
新記録となる354個目の三振は、なんとしても王さんから取りたいと考えていたそうです。
巨人のV4を食い止め、阪神の優勝がかかっている大事な試合の初戦だった
ちなみに、1968年は、巨人V9の4年目に当たる年で、全盛期の長嶋さんと王さんに加え、脇を固める選手も盤石で、巨人の黄金時代の中でも最も充実していた年だったそうですが、
阪神も、その巨人に食い下がっていたそうで、一時は10ゲーム差をつけられるも、猛烈な追い上げで2ゲーム差に迫り、この日9月17日を迎えていたそうで、
9月17日からの巨人戦4連戦で阪神が4連勝すると阪神が首位、3勝1敗なら勝率では及ばないもののゲーム差はゼロになるという、ペナントレース(公式戦)の行方を左右する大事な初戦だったそうです。
そんな中、江夏さんはマウンドを託されていたのですが、同時に、江夏さん個人的にも、この試合でシーズン奪三振の日本記録「353」の更新もかかっていたのでした。
王貞治からの奪三振で新記録のシーズン354奪三振を達成したと勘違いしていた
さておき、江夏さんは、2回までに4個、3回に2個の三振を奪うと、シーズン奪三振351となり、
(金田正一さんの国鉄(現・ヤクルト)時代のセ・リーグ記録である奪三振350を抜いたそうです)
続く4回で、土井さん、そして、王貞治さんを三振に仕留め、
よし、新記録だ
と、思いながら、ベンチに帰ったそうですが・・・
捕手の辻恭彦さんから、「まだタイ記録や」と指摘されたのだそうです。
「江夏豊は王貞治から354個目の三振を奪うも尊敬の念を抱いていた!」に続く