王貞治さんを三振に打ち取り、シーズン354奪三振の新記録を達成したと思ってベンチに戻るも、捕手の辻恭彦さんから、まだタイ記録の353奪三振だと指摘された、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、どうしても、王さんから新記録のシーズン354奪三振を取りたいと、再び王さんの打席が回ってくるまで、他のバッターは三振を取らないように打ち取り、見事、王さんからシーズン354奪三振の新記録を達成したといいます。
「江夏豊は王貞治から354奪三振の新記録を達成したと勘違いしていた!」からの続き
村山実に王貞治をライバルにするよう言われていた
江夏さんが、そこまで、新記録となる三振を王貞治さんから取りたいと思っていたのは、
阪神タイガースのエースだった村山実さんが、
俺のライバルは長嶋(茂雄)や。豊、おまのライバルはあっちやぞ
と、言いながら、王貞治さんを指さしたのがきっかけだったそうで、
この時から、江夏さんにとって王さんは、ほかの誰とも違う、特別な打者になったのだそうです。
村山実にとっての長嶋茂雄のようなライバルが欲しかった
というのも、当時、阪神ファンには、阪神が負けても村山さんが長嶋さんを抑えれば満足、巨人ファンには、巨人が負けても長嶋さんが村山さんから打てれば満足、という人が多かったそうで、
江夏さんは、そんな様子を、「これがプロの戦いだ。これがゼニの取れる選手なんだ。自分もあんな勝負がしたい」と、ジリジリしながら見ていたそうで、
プロに入った以上は、村山さんと長嶋さんの勝負のような華のある勝負がしたいと思い、そのためには、自分にも、村山さんにとっての長嶋さんのような、ライバルが欲しいと思い続けていたそうで、そんな中での村山さんの言葉だったのだそうです。
絶対負けられない試合で再び王貞治の打席が回ってくるまでどのようにしのぐか考えていた
その王さんから狙って三振を取り、奪三振の新記録を達成したはずが、まさかの勘違いでタイ記録止まりだったと知った江夏さんは、
どうしても王さんから奪三振の新記録を取りたかったことから、どうすればいいかと、頭を巡らせていたそうですが、
(この試合は、阪神が優勝するためには絶対に負けられない試合でもあり、0対0の展開の中、(相手投手の高橋さんとは投げ合うと必ず1点勝負になっていたことから)1点でも取られたらおしまい、というつもりでマウンドに上っていたそうで、再び王さんの打席が回ってくるまで、三振を取らずに、点も取られないようにするには、どうすればいいかと思案していたそうです)
そんな中、4回の阪神の攻撃は、ポンポンと凡打を打たされ、ほんの5、6球で終わったそうで、江夏さんは、(味方ながら)「何をしとるんだ」と、思ったそうですが・・・
思惑通り王貞治から新記録のシーズン354個目の三振を奪う
同時に、打たせて取ればいいんだと思いつき、再び王さんの打席が回ってくるまで、他の打者からは三振を取らないように、打たせてアウトを取りにいくと、結果、シングルヒット1本でしのぎ、7回、ついに王さんの打席が回ってきたそうで、
1球目は外角ストライク、2球目はファウルと、追い込むと、3球目ははずして、カウント2ストライク1ボール。
そして、4球目、追い込んだらまっすぐしかないと、直球で勝負すると、フルスイングした王さんの体はくるりと回って、ボールはキャッチャーの辻さんのミットに収まったそうで、江夏さんは、見事、王さんから、記録更新となるシーズン354個目の三振を奪ったのでした。
(甲子園のスタンドを埋めたファンも巨人阪神両軍の選手も、江夏さんが王さんから三振を取りに行こうとしていることを分かっており、マウンドに立っていても、巨人ファンの「王、打てよ」という声援や、阪神ファンの「江夏、取れよ」という声援がはっきり聞こえていたそうです)
王貞治がいつものように勝負してくれたことに尊敬の念を抱いていた
ちなみに、そんな江夏さんは、著書「燃えよ左腕 江夏豊という人生(日本経済新聞出版)」で、
「やった」。そんな思いとともにわいてきたのは偉大な打者への尊敬の念だった。不名誉な記録に名前を残したい人はいないはずなのに、王さんは当てていこうと考えず、いつものように「江夏の球をスタンドに運んでやる」というスイングをしてくれた。
さすが王さん。ライバルに恵まれたことの幸せを感じた瞬間だった。王さんとは通算321打席対戦し、20ホーマーを喫した。
王さんの投手別本塁打では、平松政次投手(大洋)の25本、星野仙一投手(中日)の24本、外木場義郎投手(広島)の23本に次ぐものだ。
一方、王さんから奪った三振は57個。王さんから最も多く三振を奪った投手ということになる。
と、綴っています。
1968年9月17日、王貞治さんからシーズン354個目の三振を奪った江夏さん。
「江夏豊はオールスター9者連続奪三振もそれまでは調子が悪かった!」に続く