12年ぶりに巨人軍監督に再登板した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、2年目の1994年には、序盤から首位を独走するも、猛追してきた中日に同率首位に並ばれ、10月8日の最終戦が優勝決定戦となります。
「長嶋茂雄の巨人軍監督再登板はナベツネからの要請だった!」からの続き
中日と勝率が並び最終戦が優勝決定戦となっていた
監督復帰1年目の1993年は、打線が低迷し、3位に終わった長嶋さんですが、翌1994年は、FA(初年度)で中日ドラゴンズから獲得した落合博満さんの活躍や、プロ2年目の松井秀喜さんの台頭、エース槙原寛己投手の完全試合達成などで勢いに乗り、序盤から首位を独走します。
ただ、8月25日から9月3日には、球団19年ぶりの8連敗を喫するほか、中日が驚異的な追い上げを見せ、(130試合制の)129試合を終えた時点で、巨人と中日は69勝60敗と並び、同率首位となったそうで、優勝は最終戦の直接対決に委ねられます。
(最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決という優勝決定戦は、リーグ戦(公式戦・レギュラーシーズン)において、日本プロ野球史上初めてだったそうです)
中日との優勝決定戦(10.8)前夜には槙原寛己と桑田真澄を呼び出していた
そんな中、長嶋さんは、最終戦が行われる前日の10月7日の夜、
宿舎で槙原寛己投手を呼び、
あすは、お前と斎藤(雅樹)、桑田(真澄)に任す。まず、お前が先発で行け
と、告げると、
次に、桑田さんも呼び、
しびれる場面で行くぞ
と、声をかけたそうで、
長嶋さんは、巨人が誇る主力ピッチャーの3人にすべてを賭けたのだそうです。
(斎藤さんは呼ばなかったそうです)
中日との優勝決定戦(10.8)前のミーティングでは気合を入れていた
そして、迎えた10月8日には、長嶋さんは、試合前のミーティングで、顔を紅潮させながら、
俺たちは勝つ!勝つ!勝つ!
と、叫んだそうで、
選手たちも、
おう!
と、大声で叫び、気合を入れたのだそうです。
中日との優勝決定戦(10.8)では落合博満のホームランで先制
こうして、迎えた優勝決定戦では、初回表、中日先発の左腕・今中慎二投手に簡単に3人で打ち取られると、
その裏には、先発の槙原投手が、中日の先頭打者・清水雅治選手から右中間に二塁打を放たれるも、続く、小森哲也選手が送りバントを空振りし、飛び出した二塁走者の清水選手を、村田真一捕手が送球アウト。
その後、槙原投手は、小森選手に右前安打、3番の立浪和義選手に死球を与え、一死一・二塁とされるも、4番の大豊選手を二塁ゴロ併殺とし、無得点でピンチを切り抜けます。
すると、2回表には、FA入団1年目の落合博満選手が、今中投手の真ん中低めの速球をスタンドに叩き込んで、1点を先制。さらには、その後、槙原投手の内野ゴロの間に三塁走者が生還して1点を加点し、2点を先制したのでした。
「長嶋茂雄は10.8後は西武にも勝ち初の日本一を果たしていた!」に続く