ダイエーホークス監督4年目の1998年には、67勝67敗1分でオリックスと並んで同率3位になり、ようやく、「これなら行けるかもしれない」と手応を感じ始めたという、王貞治(おう さだはる)さんですが、実は、1994年には、球団がドラフト1位で強行指名した城島健司さんを、自ら口説き落としていたといいます。
「王貞治はダイエー監督2年目バスに生卵を投げつけられていた!」からの続き
プロ入りを拒否していた城島健司を口説き落としていた
実は、1994年のドラフトでは、城島健司さんは、駒澤大学への推薦入学が決まっていたことから、プロ入り拒否を表明していたのですが、ダイエーホークスは、代表取締役専務兼監督である根本陸夫さんの意向により、1位指名を強行。
この後、次期監督が決まっていた王さんが、直接、城島さんを口説き落としたという経緯がありました。
ダイエーホークスから1位指名され複雑な表情の城島健司さん。
城島健司は少年時代から王貞治に憧れていた
というのも、城島さんは、4歳の時、王さんが巨人で引退試合で挨拶をしている映像を見て、プロ野球選手に憧れ、小学4年生の時、少年野球チームに入ると、その後、中学3年生の時にも、プロ野球OBによる野球教室に参加した際、王さんに褒められて、巨人入りを勧められ、その後、東都大学リーグで力をつけて巨人に入ろうと、駒澤大学への推薦入学を取り付けていたそうで、
そんな中、憧れだった王さんが次期監督になることを知り、しかも、王さん直々に口説かれたことで、プロ入り拒否を撤回し、ダイエー入りを決めたのでした。
城島健司が入団3年目から一軍に定着
そんな城島さんは、入団当初は球団の方針で二軍からのスタートだったのですが、1997年から一軍に定着すると、当初は、やんちゃ盛りだったそうで、王さんは、「プロとはなんぞや」というところから説いたそうです。
(城島さんは、言うことを聞かず、反発することもあったそうですが、王さんは、そんな城島さんを、気骨のある選手だと大きく期待していたそうです)
すると、3年目には120試合出場し、キャッチャーながら、打率3割8厘、15本塁打という素晴らしい成績を残すなど、みるみるうちに、扇の要として、常勝ホークスを支える存在になっていったのだそうです。
(城島さんは、後に、日本人捕手で初めてメジャーリーガーとなっています)
「王貞治はダイエー監督5年目のとき尾花高夫にオファーしていた!」に続く
王さん(左)とダイエー入団を決めた城島健司さん(右)。