阪神の監督に就任するも、「若手登用」と「世代交代」を厳命され、ベテラン選手から反感を買っていたという、杉下茂(すぎした しげる)さんは、8月には、ベテラン選手を交えて、今後の展望について語り合ったそうですが、翌日には、野田誠三オーナーより解任を通告されたといいます。

「杉下茂は阪神監督時代に審判に抗議せず選手達の怒りを買っていた!」からの続き

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コーチやベテラン選手たちと今後の展望について語り合っていたが・・・

1966年8月12日、高校野球が開幕すると、甲子園を本拠地にする阪神は、甲子園を明渡し、東京から新幹線と特急を乗り継いで広島に向かっていたそうですが、移動中、杉下さんは、コーチとベテラン選手を展望車に集め、いかにすれば現状を打破できるかと、4時間に渡り、話し合ったそうで、

杉下さんは、

この遠征は大収穫だった。皆、いい意見を述べてくれた

と、ご機嫌だったそうですが・・・

監督就任1年目のシーズン途中で監督解任を言い渡されていた

実は、この日、阪神の野田誠三オーナーは、戸沢一隆球団社長、藤本定義前監督、佐川直行スカウトを招集し、本社副社長の福西清さんも同席する中、甲子園球場内会議室で極秘会談を開くと、ここで、杉下さんの監督解任と藤本定義前監督の復帰を決定していたそうで、

翌日8月13日の朝、広島の定宿、吉川(きっかわ)旅館に滞在していた杉下さんは電話で起こされ、突然「休養」が伝えられたのだそうです。

ちなみに、阪神球団からは、広島駅午後12時10分発の特急「はと」に乗るようにとのお達しまであったそうで、同日夜、杉下さんは、東京・杉並の自宅に帰宅すると、集まった取材陣に対し、

負ければ賊軍ですよ

と、静かに語り、監督の座を退いたのでした。

(杉下さんを玄関先で見送ったのは、三宅秀史選手、村山実投手、若生智男選手の3人だけだったそうです)

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「スポーツニッポン」の記者からは同情のコメントも

ちなみに、当初は、阪神球団から、

杉下が気疲れから休養の申し出があり、それを受けた

と、マスコミ各社に連絡があったそうですが、

「スポーツニッポン」の記者・田中二郎さんは、譲られた監督の座を追われた杉下さんについて、「悲しい真実」と書き、

発車後三十分して同じプラットホームに藤本総監督が着いた

両者が顔を合わさぬことこそ球団の親心と解釈すべきか

と、書き記しています。

(藤本総監督は、同日の広島戦から指揮を執ったそうですが、実は、藤本総監督は、1961年に金田正泰監督が更迭された時も、シーズン中に監督に就任しており、今回も、「伊予の古だぬき」と呼ばれた藤本総監督の予定調和だったのではとも言われています)

「杉下茂は再び中日監督に就任するも1年目のシーズン中に解任されていた!」に続く

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