1982年、西武ライオンズを初のリーグ優勝&日本一に導くと、翌年の1983年には、宿敵・巨人を倒し、見事、2年連続日本一に輝いた、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、1984年には、主力の田淵幸一選手の体調悪化や、山崎裕之選手の打撃の低迷などで、早々に脱落したことで、若手選手中心にしたメンバー編成を行うと、これまで二軍で育ててきた、秋山幸二選手、辻発彦選手、工藤公康投手、渡辺久信投手などの若手選手が活躍し、1985年には、再び、リーグ優勝するのですが、同年、5年契約を1年残し、突然、監督を辞任します。

「広岡達朗は西武監督時代に日本シリーズで巨人を倒し日本一になっていた!」からの続き

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1984年は3位に終わるも若手選手主体に切り替えていた

1984年は、主力の田淵幸一選手の体調が悪化するほか、山崎裕之選手の打撃の低迷などもあり、早々に、好調の阪急ブレーブスに押され、優勝争いから脱落してしまうのですが、

広岡さんは、5月20日から、起用する選手の大半を若手選手に切り替え、「育てながら勝つ」という方針に方向転換したそうで、このシーズンは3位に終わったものの、広岡さんにとっては、会心のシーズンだったそうです。

コーチ陣も一新していた

そんな中、シーズン終了後には、ヤクルト時代からの盟友・森祇晶ヘッドコーチが退団するほか、田淵幸一選手と山崎裕之選手が現役を引退すると、

広岡さんは、黒田正宏さんを選手兼任バッテリーコーチ、黒江透修さんを一軍総合コーチ、宮田征典さんを一軍投手コーチ、長池徳士さんを一軍打撃コーチ、土井正博さんを二軍打撃コーチとするなど、コーチ陣を一新したそうです。

若手&生え抜き選手でリーグ優勝を果たしていた

すると、これまで、森祇晶、近藤昭仁、佐藤孝夫の3コーチと共に自ら二軍へ行き、鍛え上げてきた、秋山幸二選手、辻発彦選手、工藤公康投手、渡辺久信投手などの若手選手が台頭してきたそうで、従来の寄せ集め選手中心から、生え抜き選手中心のチームとなり、独走でリーグ優勝を果たしたのでした。

(ちなみに、日本シリーズでは、現役時代のライバル・吉田義男監督率いる阪神に2勝4敗で敗れ、日本一にはなれませんでした)

5年契約を1年残して、突然、監督を辞任していた

こうして、広岡さんは、後に黄金期を迎える新生ライオンズの礎を築いたのですが、同年11月8日、5年契約を1年残し、突然、監督を辞任しています。

というのも、シーズン終了後、広岡さんは、監督権限を強化するようフロントに要望したそうですが、聞き入れられず、夕刊紙にフロント批判を繰り返したことから、このことを管理部長だった根本陸夫さんが問題視したそうで、

広岡さんは、後に、インタビューで、

根本さん(当時の管理部長)と坂井(保之元球団代表)の2人がオーナーの堤さんをがっちりガードして、俺に全然会わせてくれなかった。

根本さんは『スポーツ紙にいろいろ書かれてもまったく気にしなくていい』と最初は言っていたのに、’85年に東スポにああだこうだと書かれると『この記事はどういうことだ?』と詮索してくるようになった。

あまりにうるさいので売り言葉に買い言葉で『じゃあ、もう辞めますよ』って言うと『そうか、辞めてくれるか』だからね。辞める理由も健康上の理由ってことにしておいてくれとまで言われたんだから

と、明かしています。

実際、広岡さんは、監督辞任の記者会見では、

痛風が出て終盤の大事な試合で指揮が取れなかった。球団にはわがままを聞いてもらった

と、球団が書いたシナリオ通り、健康上の問題と語っています。

西武ライオンズを4年間で3度のリーグ優勝と2度の日本一に導くも監督をクビになった理由とは?

そんな広岡さんは、

4年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一と出来過ぎとも言える成績を残した自分をどうして追い出しにかかったか、今でもわからない

と、話しているのですが、

その理由は、

  • 選手に対する厳し過ぎる指導
  • 選手に対して言いたい放題
  • 勝っても思ったより伸びない観客動員
  • フロントとの確執

と、言われています。

ちなみに、当時、正捕手だった伊東勤選手は、同日、温泉治療で群馬県の上牧温泉病院へ向かっている途中、広岡さんの辞任を知ったそうで、後に、

サービスエリアでビールを買って小宴会みたいになった。あの厳しさから解放されると思うとホッとした

と、語っています。

(西武在任期間4年のうち3度のリーグ優勝と2度の日本一を達成するも、またもや任期半ばでの辞任となった広岡さんですが、1984年に、広岡さんが主軸を若手主体に切り替えたことで、西武はその後も、1986~1995年にかけてリーグ優勝8回、日本一6回を果たしています)

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監督時代の成績が凄すぎる

それでは、最後に、広岡さんの監督時代の成績をご紹介します。

と、素晴らしい成績を残しています。

「広岡達朗の息子は?娘は?孫娘は元宝塚女優の麻央侑希!」に続く

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