大毎オリオンズのオーナー・永田雅一さんからの熱い要望に応える形で、大毎に移籍したという、小山正明(こやま まさあき)さんは、永田オーナーにことのほか喜ばれたそうで、馬をプレゼントしたいと言われたほか、200勝を達成した際には、200万円の高級腕時計をプレゼントされるなど、大変気に入られたそうです。

「小山正明が山内一弘とトレードになったのは貧打線が原因だった!」からの続き

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永田雅一から馬主になることを勧められるも、その意味が分からず断っていた

大毎オリオンズのオーナー・永田雅一さんからの熱いオファーで、大毎の山内一弘選手との交換トレードにより大毎に移籍した小山さんですが、永田オーナーの喜びようは相当なものだったそうで、初対面の時には、「小山よ・・・。馬を一頭やろうか・・・」と持ちかけられたといいます。

しかし、小山さんは、あっさり、「馬ですか・・・。いやぁ、結構です」と断ったのだそうです。

(永田オーナーは数多くの名馬を持っていたそうです)

というのも、小山さんは競馬をやらなかったため、馬をもらうという意味が分かっていなかったのだそうです。

後にチームメイトから永田雅一が馬主でもあることを聞き、馬を断ったことを後悔していた

そして、後日、小山さんがチームメイトにこの話をしたところ、「アホやなぁ・・・。オーナーはいい馬を持っているはずだから、もったいないことをしたなぁ」などと、口々に言われたそうで、

それでも、小山さんは、何のことか分からず、

何言うとんねん。そんなもんもろうても、飼うところあらへんがな

と、的外れなことを言い、みんなを呆れさせたそうですが、

この時、説明してもらい、大いに後悔したのだそうです(笑)

永田雅一から200勝記念に高級腕時計「パテック」をもらっていた

さておき、永田オーナーは、馬の代わりに外車をプレゼントしてくれたそうですが、そのほかにも、小山さんが1964年8月13日の南海戦で24勝目(通算200勝)を達成した際には、何でもくれると言ったそうで、小山さんが「オーナーの腕時計をください」と言うと、その時計はもらえなかったそうですが、

翌日には、200万円もする高級腕時計「パテック」が届けられたそうで、その腕時計の裏には、きちんと「二百勝記念、永田雅一」と彫り込まれてあったそうで、小山さんには思い出深い勲章の一つとなったのだそうです。

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晩年は不遇だった永田雅一から「素晴らしい友達がいて幸せだ」と言われていた

そんな永田オーナーも、1969年には大映が経営難で倒産し、映画と野球の世界から去ると、晩年は不遇な時を過ごしたそうで、小山さんが病床の永田さんを見舞いに行くと、2人きりで2時間ほど話したそうですが、

永田さんは、

いまオレは貧乏しとるが、幸せだよ。何よりも(君のような)素晴らしい友達がいるからな

と、言ったそうで、

小山さんこの言葉に胸が詰まったそうです。

「小山正明は大毎オリオンズ移籍1年目に30勝で最多勝を獲得していた!」に続く


(左から)山内一弘さん、阪神・野田誠三オーナー、大毎オリオンズ・永田雅一オーナー、小山さん。

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