西武ライオンズの監督に就任すると、就任1年目の1986年から、西武をリーグ優勝&日本一に導いた、森祇晶(もり まさあき)さんは、翌1987年も西武をリーグ優勝&日本一に導きます。
「森祇晶は西武ライオンズ監督就任1年目で日本一になっていた!」からの続き
1987年は辻発彦と渡辺久信の故障や清原和博の不振で出遅れていた
森さんは、1987年には、前年、打率3割2分9厘、27本塁打、89打点の成績で、パ・リーグMVPを獲得した石毛宏典選手を、(30歳という年齢と1985年の日本シリーズで痛めた右膝の負担を減らすため)遊撃手から三塁手へコンバートし、三塁手とセンターを掛け持ちしていた秋山幸二選手をセンター一本にすると、空いた遊撃を田辺徳雄選手と清家政和選手で競わせるのですが、
辻発彦選手、渡辺久信投手がシーズン序盤から故障で抜けたうえ、2年目の清原和博選手も不振で、5月7日には最下位に転落してしまいます。
不振の清原和博に代わり秋山幸二が4番に座ると本塁打を量産
しかし、5月16日から、秋山幸二選手が不振の清原選手に代わって4番に座ると、これまで掛け持ちしていた三塁手としての守備の負担が減り、より打撃に専念できるようになり、本塁打を量産。
そのお陰で、チームは復調し始め、前半戦終了時点で、首位の阪急に1.5差の2位に迫ります。
(秋山選手は、この年43本で初の本塁打王に輝いています)
1987年は3年連続リーグ優勝と2年連続日本シリーズ制覇を果たした
さらには、やがて、辻選手と渡辺投手が故障から復帰すると、7月後半には阪急から首位を奪取し、8月以降は34勝14敗6分と貯金を20個も作る快進撃。
そして、最終的には、10月10日の近鉄戦でリーグ優勝を決めると、王貞治監督率いる読売ジャイアンツとの日本シリーズも4勝2敗で制し、2年連続日本一となったのでした。
「森祇晶は工藤公康に登板拒否発言されるも丸く収めていた!」に続く
1987年11月1日、日本一を決め歓喜する西武ナイン。中央で抱き合うのは石毛選手(左)と工藤投手(右)。