西武ライオンズ監督時代、主力打者だった秋山幸二選手を福岡ダイエーホークスとのトレードで放出した理由を、ヤクルトスワローズとの日本シリーズに敗れ、チームの大改造が必要だったためと説明していた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、実際のところは、秋山選手の不倫スキャンダルや性格的なものが気に入らなかったと言われています。

「森祇晶が秋山幸二をトレードで放出した理由とは?」からの続き

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秋山幸二の不倫スキャンダルを許すことができなかった?

森さんは、1993年、主力打者の秋山幸二選手をトレードに出した理由を、

  • 1993年シーズンは9年連続30本塁打という偉業を達成するも、打率は2割4分7厘、さらに、得点圏打率1割9分8厘とチャンスに弱かった
  • 31歳という年齢
  • 不倫スキャンダルがあり地元でやり直した方が良いと考えた
  • 西武には左打者がいなかったので若い佐々木誠選手を取りたいと思っていた

と、個人的な好き嫌いではなく、チームを強くするためと語っているのですが、

森さんはスキャンダルを最も嫌っていたため、実際のところは、秋山選手の不倫スキャンダルを許すことができず、放出したと言われています。

西武のヘッド兼打撃コーチだった黒江透修は森祇晶と秋山幸二の確執はなかったと言っていたが・・・

ちなみに、当時、西武でヘッド兼打撃コーチを務めていた黒江透修さんは、当時の森さんと秋山選手の関係を、

周りが言うような「確執」ほどのことはなかったですよ。秋山はああいう性格だから確執と言われても誰にも何も言わない。闘志を内に秘める男なんですよ。

森さんもおとなしく見える人だけど、実は違う。分かりやすいものを好むんです。そこに秋山と森さんの不一致があったと思う。

当時の西武は常勝軍団を維持するために10年先の未来も見据えていた。秋山ももちろんコーチや監督の筆頭候補でした。ただ、森さんは指導者としての秋山の才能を認めていなかったのかもしれません

と、語っているのですが・・・

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悔しさや闘志を表に出さない秋山幸二に不満を抱いていた

森さん本人は、著書「覇道」で、

選手には2つのタイプがある。一つは常日頃から派手にふるまい、大口を叩くタイプ。力以上に自分を見せたがる人間に多い。もう一つは、感情を表に出さずパフォーマンスが苦手なタイプ。シャイな人間に多い。

秋山は間違いなく後者である。自分をアピールすることに恥ずかしさを覚えるのである。打席内でも闘争心が出ない。頑固さは彼の右に出る者はいない。芯の強い人間は得てしてはにかみ屋である。ボクサーのように、闘争本能が表に出ればいいのになあと私はかねてより思っていた

と、綴っており、

悔しさや闘志を表に出さない秋山選手に対して不満を抱いていたのは確かなようです。

実際、森さんは、秋山選手を奮起させようと、ことあるごとに清原和博選手と比較したそうですが、これに秋山選手はプライドを傷つけられたほか、1993年には、森さんが、秋山選手の打席で羽生田忠克選手を代打に送ったことなどから、感情的な対立は十分あっただろうと考えられています。

「森祇晶は横浜監督就任の際に権藤博の采配を批判していた?」に続く


覇道

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